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一日一食は問題ないか。そもそも合理的な食事回数というのはあるのか。・・・考えてみた。

我々は、朝は朝食、昼は昼食、夜は夕食と一日3食を決まった時間に食べるものだと思っている。また、そうすることが体に良いと言われてきている。

はたしてそうなのか。
江戸時代の生活は、一日2食だったという。
ライオンは一日1食。

ましてや、決まった時間に食べるというのは、どうなんだろう。
これを推奨する理屈として、決まった時間に食べると、体がそれに慣れるから負担が少なくなり、体に良いとか言われる。

しかし、体は機械ではない。
体調によって、今は食べたくない。あるいは、まだ時間ではないが、猛烈に腹が減ったとかいうことは、よくある。

これらは、体からのシグナルだ。
数百万年にわたる、試行錯誤の結果到達した人体管理のノウハウに基づいて、体が今必要な行動を我々に伝えているのだ。

それを無視して、ここ数十年の(数千年でも数百年でもない)の医学的、栄養学的知識に基づいて行動することが、はたして合理的なのか。
なおかつ、医学的・栄養学的な見解そのものが、コロコロとまでは言わないが、どんどん変わってきている。

そもそも、体に負担をかけないから、体に良いという理屈は、成り立つのか。

当たり前じゃないか、負担が少ないほど体は楽なんだから、体に良いのは当たり前、と思うかもしれない。

体に負担をかけないことが、体に良いというのは、本当だろうか。

ベッドに1日中、365日縛り付けられるような生活をしてみればいい。
あるいは、宇宙飛行士が1年間宇宙ステーションに滞在した後、地上に降りたらどうなったか。

どちらも、自分で満足に立つことすらできなくなるではないか。

いや、それは筋肉のことで、内臓の問題ではない・・・。
どうして、そう言えます?

人間の体は、使わないと退化するようにできているのです。
それが筋肉であろうと、内臓であろうと。

そして、限度を超えない負荷は、その器官を強くするように働くのです。

てなことを考えると、食べたくなった時に食べる、食べたくない時は食べないというのが合理的であろうと私は思う。

さて、今回のメインテーマ食事の回数。
複数回推奨派は、いっぺんに食べるより複数回の分けた方が、体の負担が少ない。という見解のようだ。

そうなのか?
食べたものは、まず胃に行く。
この胃における食べ物の滞在時間を考えてみる。

果物   :20〜30分
野菜   :1〜2時間
炭水化物 :2〜4時間
タンパク質:4〜6時間
脂質   :7〜8時間

つまり、食べ物によっては、次の食べ物が胃に入ってくるまで、まだ残っていることになる。

そうなると、胃はずっと働き詰めで休む暇がない。
これを、負担がかからない言えるのか。

これは胃についてだが、小腸、大腸及びその他の内臓にも同じことが言える。いつ休むのだ!

いや、良いんです。内臓は疲れないから・・・
ほんとうか。
疲れない臓器なんてあるのか。

それに資源の使い方の問題がある。
胃の次は、小腸。小腸の次は大腸だ。

例えば、小腸が働く時に、まだ胃が働かなければならないとしたら、体はエネルギーを分散しなければならない。
それより、胃なら胃、小腸なら小腸にエネルギーを集中した方が、効率が良くないか。

そんな心配はいらないのだ。体はそれくらい平気でこなせるようになっているのだ、・・・というかね。

飯を食った後眠くならないのかね、あなた。

あれは、消化のために内臓に血流を集中させるため、脳に行く血液が減るから、眠くなる。つまり、体はそんなに余力が有り余っているわけじゃないのだ。

実は、体には24時間周期のリズムがあることがわかっている。
それによると、体は一日に「食べ物を取り入れる(補給)」「食べ物の一部を吸収する(同化)」「使わない部分を捨てる(排泄)」という作業を繰り返している。

この作業を行う3つの機能は、どんな時でもある程度行われているのだが、実は1日のうちで最も機能が活発になる特定の時間帯があるのだ。

12時〜20時  :補給(食べることと食べたものの分解)
20時〜4時   :同化(吸収と利用・・体への同化)
4時〜12時   :体内の老廃物と食物カスの排出

ということです。

結論が出ましたな。
一日一食で問題ない。むしろ1日一食、昼食として食べるのが合理的である。




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