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迷ったら、困難な方を選べ(yasuの特殊解補足)。


迷ったら、困難な方を選べ

そんなアホな。楽な道、易しい方がいいだろう。
なんでわざわざ困難な方を選ぶのだ、と思うだろうが、違うな。

まず、困難に見える方が、本質的であることが多い。
成果も目的達成にもより近いことが多い。
だから、本来的にこちらを選ぶべきなのだ。

易しく見える道は、やってみると意外と面倒なものだ。
手順や、やり方等が決まっていることが多く、退屈な道を延々と歩くことになる。

困難な方は、ほぼ退屈とは無縁だ。

それに、困難と思うのは、やってみてないからだ。いざ本気で取り組むと意外とやれるものだ。

前例とかないことが多いので、誰もああしろ、こうしろと言わない。思いっきりやれる。

大体、困難だと思っている道だから、覚悟が違う。緊張しているし、のんびりなんかしていられない、思いっきり全力でやるしかない。

緊張して、全力でやるなんて辛いじゃないと思うかもしれないが、さにあらず。

実は、手抜きのほうが疲れる。
まずどの程度手を抜く考えながらやらなくてはならない。
おまけに、やる気なしで、ある意味嫌々やると同じで、いわばブレーキをかけながらアクセルを踏むようなものになるから疲れる。

それに充実感が違う。
手抜きでは充実感など望むべくもない。

もっと言えば、全力でやったものは、たとえ成果が出なくてもなんらかが残る(大体全力でやれば、事は成る・・・ことが多い。)。

なぜなら、これも緊張度と集中力の問題で、脳のニューロンの結束が強まる。当然、その分の脳の回路は、強化される。
つまり、頭が良くなる。

頭の良さは、遺伝か後天的な鍛錬かと議論がある。
遺伝ですな。学習能力みたいなものに関してですが。

しかし、本当の頭の良さ、問題解決能力とそれの実現力に関しては、鍛錬の方が優位だと思う。
学習能力に関しても、本当の頭の良さを身につけた人は、遺伝的な素質のあるものを凌駕するようになる気がする。

それに、こうやって身につけた学習能力は、緩急・強弱の要をすぐ掴み、無駄なく効率的に働くような感じだ。

要するに、他人の評価は置いておいて、手抜きなし全力でやった方がストレスもないし自分の資産(能力)も確実に積み上がる。

だからと言って、闇雲に馬車馬のように(馬車馬を見た事はないが)頑張ればいいと言うものじゃない。
それだと、単純な根性論、我慢比べになる。

誤解のないように言っておくと、根性は必要だ。
大抵のことは、根性で片付く。
何事も人の3倍やるつもりで頑張れば、まず落とさない。

逆に言えば根性がないと、単純な瞬間芸的なもの以外では、事を成せない。

しかし、これは大抵のことのはなし。
大抵の枠を超えたものをやるには、単純な根性だけで挑んでも難しい。

大体、我慢くらべをずっと続けると、疲労が蓄積してきて、心身が蝕まれてくる。体も心もそういう風にできている。

嫌なこと、苦しいことは避ける。
生物として当たり前だ。本能だ。
この本能のおかげで、生き延びてきたし、進化できたのだ。

本能に逆らって碌なことはないのだ。

だが、根性は要る。
・・・・・
どうせいというんじゃ?!

まず第一に絶対すべきは、我慢をやめる。あるいは、我慢を極限まで少なくする。

我慢というのは、文字通り嫌なことに耐えることだ。
耐えるというのは、受け身だ。
この受け身の姿勢を止める。
挑んでいくのだ。

その上で、工夫をする。
手順の習熟、手順の工夫、場合によっては目標の変更(目的の変更ではない)。

徹底的にかつ不断にやることだ。
ケースによっては、外注する。つまり、他の人にやってもらうのだ。
そうやって、効率を上げていく。

と、まあそんな感じ。





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