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映画『ハウルの動く城』

テレビをつけたら始まったばかりだったので、そのままハウルを観ることにしました。録画してあるかもしれないのだけれど観るタイミングが大事。

観はじめは、ちょうどソフィーが白髪になった瞬間でした。

今回は、CMが入るたびに物思いに耽りました。初めて観るわけではないので、気づきがたくさんありました。

私には、自分の頭に白髪がどっと増えた時期というのがあるのですが、それは30代です。濃い髪色で丈夫で、遺伝的にも白髪が出るのは50代以降の家系です。だからイレギュラーなストレスというか心労が原因だったかなと思っています。

ソフィーの白髪、というか老体はややこしい呪いがかけられたからでしたっけ。それをきっかけにして、ソフィーの人生の、何か別の歯車が回り始め、時間と空間が入り乱れていきます。その乱れが、新しいソフィーを軸にしてしっかり動き始めるとなくなって、ソフィーは老婆でもなくなっていくという映画。

若くして晩生をいき、そして生きながらに蘇って人生を切り拓くソフィー。

私の場合は、白髪が増えた後に、生まれ変わるのに近い経験をしています。そういう感覚がありました。あ、いま中学時代とか、17歳だとか。明らかに、かつて通ってきた年齢の感覚だけが順に蘇って、生きながらにしてもう一度生まれ変わって生き直しているような日々を経験しました。もちろん体はそのままですから、ソフィーの世界と似ています。どこかの坂道をくだりながら、重力に負けた顔を揺らしているのに、そのうえをセーラー服で歩いている気分が通り抜けて行ったりするんですけれど、わかりにくいでしょうか。

今も強く覚えているのは17歳です。そのあとは、大学生の時があって、20代くらいまではどんどん成長してきてるなと思ったけれど、どこかの段階でふいっとそういう感覚がなくなりました。そういえば大人って、だらだら長いものですね。

そのソフィーが白髪のまま老婆ではなくなる場面が多くなるあたりに、私にとって、わかりにくい展開があります。

それは、ソフィーが岩の扉を破って黒いトンネルを抜け、ハウルの懐かしい家にたどり着く場面。ハウルがカルシファーに心臓を渡す瞬間に何かがはじけて、ハウルの幼い頃にソフィーがすでに出会っていたことを連想させるシーンがありますね。あそこがよく理解できていません。時間軸が錯綜しているのかのように、ハウルの思い出に現在のソフィーが関与するのです。そしてその因果が、現在のハウルと現在のソフィーとの絆を深めます。

ごめんね。私グズだから。
ハウルはずーっと待っててくれたのに。

こうなるのです。

たとえば、誰かと初対面で出会って仲が良くなっていく場合を考えてみました。

なんの脈略もないところから、きっかけがあって時間を共有し始めます。会えば挨拶をしたり、おしゃべりしたりする程度に親しくなります。その関係性が、命にかかわるコンテクスト(映画では戦争)を通して、相手がかけがえのない存在であることを自覚するようになったその時から、その人の懐かしい場所、その人の今を作っている最初へ触れることができるようになる、ということではないようなんですね。

そうではなくて、時間を戻して、その人の懐かしい場所に関与し、それを共有するようになる。あるいは、時間を戻してみると、その人の懐かしい場所にもともと関与していたことを、思い出すようになるという感じ。

もともと関与していたのを思い出したというなら、わかります。縁がある人というのは、良きにつけ悪しきにつけ、過去を共有しているという考え方があります。今いま忘れているだけであって、関わりがある人との縁が深まると、細い可能性の暗闇を抜けて、その過去の縁を思い出すという考え。

『千と千尋』も、「川」だった頃のハクが千尋との最初の出会いを、双方が名前を取り戻したことで思い出したんでしたっけ。

特別じゃなくても、袖すり合うのも多生の縁といいます。時間をかけて仲を深めると、岩の扉をあけるところまで行くのかもしれませんし、行く人だったりするのかもしれません。



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