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着物|駆け込んできたお嬢たちを守りたい

子供のころ「本を踏むな」と躾けられました。

大人になって、目の前の床に転がったり、上に物をのせられていたりして、今にも机から落ちそうになっている本を見ると、いたたまれないのはそのせいでしょう。いいかげん居場所をみつくろってあげないといけないのです。

本の有する叡智の恩恵を考えたら踏めない、またげないのです。

同じように「帯を踏むな」と教えられました。着物の教室で。通い初めてすぐに、帯を踏む又は帯をまたぐ行為を戒められました。

帯はフォーマルだと絹製がほとんど。花嫁御寮が召す金襴緞子は絹です。その絹は「蚕(カイコ)」のはく糸からできています。蚕という虫は「天」の「虫」と書き、これら2文字上下の組合わせで表されます。そこに長年にわたり養蚕が日本人の生活を支えてきた歴史を感じます。数えきれない蚕の命と女工の哀史をかもす富岡製糸場の世界であります。

かつては結納に、帯地を用意する風習があったといいます。それは納税が反物だったことであり、帯がお金同等(結納金)の大事なものだったからのみならず、「縁を結ぶ」ものだからだと聞きました。だから「付け帯」というのがありますが、長い帯(長い縁を結ぶ象徴)を、利便性を優先し切って改造することを、縁起が悪いとする考え方もあるにはあります。

手元に所有してみると気づくのですが、よくできているものは膨大な人の手を潜り膨大な時間を費やしているものがもつ存在感があります。高い価値を与えられるのも当然かと思わされます。それは絹に限らず、素材が綿でも麻でも、そうです。そのため、最初はそれらをぞんざいに扱うことができなくて、なんだか美術品扱いしてしまいます。

とはいえ慣れてくると、それを身につけないで仕舞い込んでしまう方が、かえってナンセンスと思うようになります。そして、手の脂を洗い落として触り、丁寧に扱いつつ体に巻きつけて外へ出かけるようになります。すると、ガラスケースに入っていそうな美術品が外気に触れ日を浴びる。所詮、着るものは消耗品。つまり、よくできた着物をきて街へ出かけると、日常や生活空間へ美術品が溶け込んでいくような不思議な感覚に酔うのです。

少し話は変わります。
実は、着物を着るようになってしばらくした頃のことです。ある時期から、名品と言われるものとの出会い率が爆あがりしたことがあります。資金に限りがありまくりなのですが、着物が私の手元に飛び込んでくるように集まってきました(これはあくまでも個人の感想です、以下同様)。

イメージ映像感覚でお伝えすると、それらの名品は目の前に現れては半ば「助けて!」と涙顔で叫んでいるようでした。決して元の高額のままではなく、ギリギリの状況でやってきます。修道院へ転がり込んでくる美女のように最後の力を振り絞って「なんとかたどり着いて来ましたっ」という感じです。

それらは素人目にも、ラ・ミゼラブル。身を落とすのが辛いだろうなと思うほどに、他のものとは段違い。糸も織も染めも品質が抜群なのです。うわーっと迷いつつも「えいっ」と思いきり購入。「もう大丈夫だよ」と男前にお迎えすることもありました。しがないので先着何名様という限定受け入れでしたが、一時そういう物に駆け込まれるような渦中にいました。その直後あたりから期を同じくして、それらを制作した伝統工芸士がこの世を去ったり、工房が廃業されたりしたのです。

これにより大事に作られたものにはそれなりの魂があると実感しました。

そこで私はというと、もしもそれらに駆け込まれた修道院としての役目があるとしたら、それは終生守ってあげることではないかと思うわけです。カビを生やしてはいけないと思うし、まず綺麗に着てあげようと思う。それで虫干しを頑張ったり、惜しげもなく着て出かけたりしました。着物を丁寧に扱うのは、織った糸は固いものに当たると擦れるし切れるから。良いものであるほど糸は柔らかく細かったりします。たとう紙を開いては「綺麗だね」とコーディネイトし、眺めて、そのまま羽織らずしまったり。とにかく大事にしました。生き物を飼うくらいの配慮で接していました。

ところが、仕事と家のことで生活全般がめちゃくちゃにおかしくなり、袖を通せない&通したくなくなるような荒れた時期が訪れます。年単位の、そのおかしくなった生活が終わるころ、ふたたび着物に心が向かい始めました。

でも、その間に大事な着物を虫干しできなかったため、カビが生えているのではないかと見るのが恐ろしくて、なかなか触れることができませんでした。

が、その恐れをふん切って勇気を出して、そっと着物が入っている場所の扉をあけ、たとう紙を開いて中の様子をのぞくと、彼らは皆無事でした。「ごめんね」と声をかけて手で触れたのが去年のことです。


もしも、現代に、昔ながらの着物や帯への思いが枯渇し始めているのだとしたら、少しでも蘇らせることに尽力したいと思います。そういう感性こそが、着物や帯をもっとも活かすことにつながる道だと思うから。



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