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ママ(妻)対パパ(夫) な構図に心配する。

佐伯(@yonyonsaeki)です。

育休記事2日目。


これまで仕事系の記事しか書いてこなかったので、この期間中は日記がてら、家庭や育児のエッセイを書いていきたいなと、気楽な文体で失礼します。

※実際にパートナの方の言動に苦しむ方や被害者である方のための文章ではないので気楽に書かせてもらいます。

ママ対パパな構図が心配な話

・夫が家事/育児に参加しない話
・理解を示さず心無い言動に傷ついた話

「妊娠、出産、育児、保活、育児と家事と仕事の両立に苦しむ妻」
 vs
「育休もとらず仕事しかせず負担をかける夫」

など、対立構造に持ち込んで、夫(パパ)側の行動変容を引き出し、
その怠惰な性根を省みるがいい(大ゲサ)

極端にいうとそんな社会的空気だったり圧だったり、言い方は大袈裟にしろ少なからずは、
夫側の行動や心の振り向け方が足りないのが問題の所在
みたいな空気を感じたりすることがある。

実際そういうこともあるだろうけれど、
都内では共働きも当たり前で経済的にもフラットな夫婦は多いだろうし、
晩婚で一人暮らし経験あり包丁も持てないみたいな男性も少ないように思う、
子供が可愛くて世話できるもんならしたい男性は多いと思うし、
そんなに性根の悪い夫も元々いないんじゃないかと思っていて少し違和感を感じている。

ワクチン打たない派が磁石だ不妊だと言ってる人ばかりに見えるような報道にも似てる気がする。
当時はいたのかもしれないけれど、今のそれは構造的に違う、みたいな類で、
問題はより高度で扱いの難しいものになってるようにも思う。

互いに善処しあって擦り切れて、お互いに限界だ、と悲鳴をあげてるなら、どちらかが譲歩するとか負担を転嫁するとかじゃなくて、

まずすべきは、お互いに大変だねと心から認め合って労うことで心を救うことからなのではないか。

体のツラさは、構造的な問題なので
短期的に解決は難しい、質を落としてでもまずは生きよう。
2人目だから思うけれど、子の成長で時間が解決することもある。(1人目だとイメージ湧かないのが辛いと思う)

良いパパと言われるのは少し息苦しい

敢えて自分で言ってしまうと、僕は良いパパと言われることが多い。
なんなら、そう言われにいってるように見えることもあるだろう。

近しい人からそうでもない方までお褒めの言葉を頂く。

実のところ、
僕は家事も仕事も割と好き且つ得意で、おまけに子煩悩で家庭が生きがいで仕事も変えてきたし、自分で会社をやっている理由だったりするような変わり者だ。

長男の小学校の入学から今日までの日々の行事/タスク、通学路のお友達やママ友の顔に至るまで妻よりも僕の方が知っているし、
また、HSPのきらいもあり、長男と学校での悩み事を話し合っては一緒に頭を抱えて泣いたりする程心を振り向けている。

俗ににいわれるような不満な夫と比べたらチート級の性能だと思う。

そんな自分もダメなところがあり、期待外れな部分は当然あって、聖人君主でも優等生でもない。

男の癖にBBQの火おこしも出来なければ、テントも張れない。
怖いし億劫だからという情け無い理由で車の運転も頑として覚えず、新潟の妻の実家にお邪魔すると完全にニートである。
車社会のご実家にいけば、いい加減ちゃんとしろ、と無言のプレッシャーを受けるのも僕にとっては現実で、どこが良い夫やねんと自分に突っ込みたくもなる。

意図しない括られ方で、線が引かれる。

人は、好きなことや関心のあることについて、同志と会話をすることがとても好きな生き物だと思うし、僕もそうだ。

なので、
幼稚園や学校や地域の知人友人とも、

・最近覚えた勝手のいいレシピ
・週末に行こうと思ってるお出かけスポット
・寝る前のルーティンってどうしてる?
・学校のプリントってなんでこんなに情報ちらばってるんだろうね(怒)
・あれ貸して、これ貸すよ

といった雑談を自然にできる仲間やママ友がもっといたらどんなに心強いだろうかと思う。

が、
冒頭の対立構造の刷り込みのせいなのか、
こういった雑談をする仲になる前に
「xxなのに、偉い」「良いパパだね、凄い」と褒められて、
あなたは外国人なのに日本語うまいですね、と線を引かれてしまったりする。

褒められるのは正直いって嬉しい。
なんか良い事してるな、というのは悪い気持ちでは全然ない(ので引き続き褒めたい人は褒めてください)が・・・

仲間に入れてほしい。


育休とったら凄いねとかより、私はこれやっといてよかったとか、あれはやらんほうがいいとか、あーだーこーだやり取りさせてもらいたい。

良いパパだね、は少し息苦しい。

本当に夫(パパ)が悪いの?

※本当に悪い奴は除く。

上述の通り、僕は家事も育児も好きだからできることが多くてこれは努力の賜物ではない。

そりゃ多少はしたけれど、
苦手な人が覚えたりモチベーション割いてやるそれよりも、よほど簡単だったはず。

冒頭の対立構造を使った風潮や世論づくりに戻ると、

「夫に家事や育児の知識や参加の意義などを刷り込んで、それで解決するのか」もさることながら、
「そのせいで擦り切れて潰れてしまう夫婦もいるんじゃなかろうか」

という点が心配だなと思っている。

妻と夫が向かい合ってお互いのタスクや心根のあり方について議論するのだと、どうしても押し付け合う要素や、人間性を変えることを強要する部分が出てしまう気がしている。

本来は向こうの方にある、同じ目的を見て横に並んで歩く関係であるべきなんじゃないかと思う。

そもそもお互いキャパ100%超えてるよね?

振り返ると夫婦生活も10年。育児も7年。

夫婦時代は一緒にいて、2人いるメリットだけで、個人の生活も満喫しながらただただ楽しく過ごした。

仕事も働き盛りで夜も遅く、胃の痛いこともあり大変だったし、風邪を引いて妻に面倒を見てもらったこともあるが、1日24時間を自由にフルに使って気晴らしをしたり体力を回復したりしながら、
自分の人生を精一杯過ごせていた。

子育て時代に入って大きく変わった。
一人では何もできない家族が仲間に加わって、喜びもあるが、心配事も増えた。


今でこそ落ち着いたけれど、
妻が時短をし、僕は23時まで仕事をしたり、たまに付き合いで飲みに行くような時代もあって苦労をかけた頃もある。

それでも当時、僕も妻や子供に手を抜いたつもりはないし、
気晴らしや仕事のやりがいを受け取ること含めて人生のバランスをとっていたし、そんな自分を手放して心身共に健康でいられるのかは不安でしかなかった。
さほど努力もせず良いパパだとか言われる奴でも、結構限界な時はあるのが育児のある人生だと思う。

育児前が100%の状態なのだから、なにか変化があれば100%のキャパは軽く超えてしまう。
子供の可愛さとか、日々のちょっとした喜びとかのご褒美はまた別次元の話。

「よく妻の家事育児のタスクを洗い出して、夫が見えてるタスク以外にもこんなにもある、夫がこれを認識すべきだし、もっと巻き取れ」

みたいな図だったりを見て、人並みにタスクのレベル感の粒度とかに内心突っ込みをいれたりしつつ、僕自身も分かりみを感じたりはするけれど。

妻が140%稼働で、夫が110%稼働みたいな状況で言い合っても125%125%にしかならないと思う。

互いに100%超えて傷ついた体で相手を気遣うのは簡単なことじゃないので相手へのリスペクトや思いやりがベースになると思う。
他人が口出せる領域じゃない。

ちゃんと話そう

まずは互いに100%超えてることを戦友として認め合いつつ、
会話を重ねて得意なこと苦手なこと、ストレスなことの擦り合せ、
楽になるためのお金の使い方や、
家庭外への支援探しなど、

対立構造にならずに、フラットに前を向けると良いなと思っている。

とか言いつつ、先日溜め込んでたせいで体調崩して妻に迷惑かけたのは僕です。
格好つけるのはよくない。


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