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【群像】もしもあなたが一億総バーモントカレー社会に生まれ落ちた一人の若者で、この世の果てでジャワカレーを見つけたとしたら

その国は島国であり、飛行機も自動車もない。
人々は一生涯をその国で終える。
食料やあらゆる資材はそれなりに豊富に生産され、貿易の必要はなく、テレビも無いが人々は平和に、幸せに暮らしている。

そして、カレーといえばバーモント。

あなたはその国に生まれた若者だ。あなたは好奇心旺盛で、海の外に飛び出すことを夢見て育ち、ある日旅に出た。そして、長い旅路の末に遠い最果ての国で、出会ってしまった。

ジャワカレーに。

この世にあるカレーはバーモントカレーだと信じ、疑うという発想すら抱かなかったあなたはそのウマさに衝撃を受けた。さて、あなたならどうする。


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今日はどうしてもTさんの話がしたい。

先日、六本木の飲み屋で3人で二次会を始め、1時半を回った頃のことでした。もう一人の参加者が一次会の後に酔い潰れて寝てしまい、残った会社のエンジニアのTさんと二人で話している中でこのバーモント・トークは始まったのです。

「Tさん、例えば、バーモントカレーしかない国に生まれて育てば、人はバーモントカレーしか知らずに育つじゃないですか。でもこの世界には他のカレーもある。でもたぶん、バーモントカレーではないカレーと出会わないと、その国の人たちにとっては“カレー=バーモントカレー”であって、そもそもバーモントカレーという言葉すらできないと思うんですよね。それが“普通”になってしまうので。」
「そうですね。そう思います。」

Tさんは常に冷静沈着で、わたしの印象では社内でも「理屈派」最右翼の一人です。「感情的なことに関してあまりに理解が無さすぎて、昔付き合っていた彼女にキレられたことがある(というような内容だったと思います)」とは本人の弁。現在はマネージャーで2児の父。そして、こういった形で話し込むのは初めてでした。
一次会で「あの人はこんな風にあるべきだ」と他人に対して強い感情をぶつける人について「ある意味お節介というか、優しいよね。」と論じたTさんは「愛情の反対は無関心」を地で行く人であり、また自分の課題と他人の課題を分離して他人に干渉しない方です…とだけ書くと単なる冷たい人みたいですが、話していると人間に対して無関心ではなく、むしろある意味とても「信頼」しているのだなとわかってきたのです。(先回りしておくと、彼は『嫌われる勇気』でも話題になったアドラー心理学的な視点で他人を見ている人なのです。)

バーモント・トークは、そんな「信頼」(愛情、と言い換えても良いかもしれません。)の定義が見え隠れする印象的な会話でした。

「じゃあ、例えば、遠い国にジャワカレーがあるのを見つけたら、ヨノセコさんはどうするの?」
「そうですね…」

さあ、皆さんはどうします?

ジャワカレーの国に一人移住します?
食べて思い出にして内緒にしてバーモント国に帰ります?
一人密輸して楽しみます?
みんなに教えちゃいます?

「わたしは、どうであれバーモント国の人々が幸せになる方向に持って行きたいですね。もし、ジャワカレーという美味しいものを知ってもそれを入手するのに、例えば超お金がかかるとか、長時間がかかるとかで、事実上入手不可能なのであれば、ジャワカレーなんて知らずにバーモントカレーを最高に楽しむ方が良いかもしれないじゃないですか。そうであるなら、わたしはジャワカレーのことは秘密にしておきます。もし、ジャワカレーが黒船的な感じで突然やってきて、みんなが喧嘩しそうなら、バーモントとジャワカレーを両方知る者としてその仲裁に入ります。」

わたしは選択肢とは多ければ多いほど良いものではなく、時に悩みを生み出すものだと思ってます。なので、単純に選択肢を増やす前に熟慮が必要だと考えたのです。自分が考え得る限りの最高の幸せを実現できるよう、ソフトランディングを目指しての回答です。だって中国の桃源郷だって、その幸福を守るために外部からの侵入者を許さなかったのです。随分昔の服を来た人たちが楽しくよろしくやっている桃源郷は、外から見たら何も進んでなくても幸せに暮らしてるんです。新しいものがやってくることが幸せとは限らない。少なくとも、その幸せを最低限度守って、上回るものでないなら導入されても不幸になるだけなんじゃあないか、そう思ったんです。

しかし、その答えを聞いたTさんは、静かにこのように返したのです。

「あー、そこは私と決定的にちがいますね。私はジャワカレーを何も考えずに放り込みますね。それでバーモント国がジャワカレーになろうが、どんなにコストをかけてでもジャワカレーを入手しようとする人が現れようが、戦争が起ころうが、とにかくバーモント国の人がどうするのか見てみたいですね。ハードランディングでも構わない。」

おお、なんという勇者!

そうですよ、自分が考え得る最高の幸せなんて、自分の域を出ないじゃないですか。

誰かの考えた最高の幸せなんて、その誰かの限界を越えられないじゃないですか。お互いの意見がぶつかり合うカオスの中で、第3のカレーが生まれるかもしれない。ココイチのようにそれぞれが好きなカレーをカスタマイズできるシステムを作り出してしまうかもしれない。

わたしは以前から「誰かのために」というのは基本的に「(わたしが)誰か(のためだと思っていることを最大限考え尽くした上で提供して相手が喜ぶのを見て自分が喜ぶ)ため」だと割り切ってやってきた訳ですが、それでもそれは人を全く信じてないじゃないかと。他者信頼とは争いとか諍いとかを目の当たりにしながらも自分も思いつかない何かをしてくれるだろうと信じきる「勇気」を持つことではないかと、改めて気付かされたのでした。Tさんマジでアドラー!

(…と思う一方で、そうはいってもバーモント戦争によって人々がとんでもない被害を受けてしまっては元も子もないので、そういうことが起こりそうなときはわたしのような立ち回りをしたがる人の出番なのかなと思ったり、しかしそれすらも「信頼されている」ある一人の人間の動きなのかなと思ったり。おお、釈迦の掌の上ではないか。)

みなさんだったら、どうします? ジャワカレー。

一通りのバーモント・トークを思い出し、Tさんは本当にすごいな、と思いながら、家でインドカレーをスパイスから作るヨノセコでございました。

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