見出し画像

コラム「"美"とは」

以前、何かの記事で読んだことがある。美というのはある方程式で表せる。

「美=暗示的情報量÷明示的情報量」

例えばプロポーズの言葉として、「君と一緒に人生を歩みたい」と言ったとする。この場合の明示的情報とは「一緒に人生を歩みたい」というただそれだけのことである。「結婚」は明示的には表現していない。「結婚してください」というのは暗示的情報になる。

つまり、その表現の中に隠された意味が暗示的情報で、表現そのままの内容が明示的情報なのである。

改めて方程式を見ると、暗示的情報量が多い方が「美」が増し、明示的情報量が少ない方が「美」が減ることになる。隠れた情報が多ければ多いほど、そのままの情報が少なければ少ないほど、「美」は増すのである。

私の好きなドラマに「王様のレストラン」というものがある。私が敬愛し、舞台のDVDを買い漁った経験もある、三谷幸喜さんの脚本である。潰れかけのフレンチレストランの話なのだが、毎話冒頭に架空の料理人の名言が出てくる。その回のテーマにまつわる名言で、第一回は「タイミング」がテーマ。私はこの回の名言こそ、美を表しているのではないかと思っている。第一回の名言はこれである。

「人生とオムレツは、タイミングが大事」

人生はタイミングが大事というのは分かるが、オムレツもタイミングが大事というのはどういうことだろう。言うまでもなく、玉子をひっくり返すタイミングのことを指している。だがこの一文には「ひっくり返す」という言葉は出てこない。

正確に言うなら、「人生とオムレツをひっくり返すのは、タイミングが大事」だろう。だが、「ひっくり返す」がなくても脳内で玉子を返すことが思い浮かぶのだ。これこそ私は「暗示的情報量」だと思う。

明示的情報量が少なすぎても意味が分からないし、暗示的情報量が多すぎても付いていけない。その意味では、「人生とオムレツは、タイミングが大事」は「人生」についてはそのまま解釈させて、「オムレツ」についてはひっくり返すことを暗示的に伝えている、絶妙な加減だと思う。

では表現に暗示的情報をもたせるにはどうすればいいのだろう。その答えは明確である。言葉を徹底的に削ぎ落とすこと。

人の脳の補足力を舐めてはいけない。映画の意味不明なシーンでも、観ている人は頑張って繋がりを見つけようとする。そのため分かりやすくするために言葉を増やして冗長的になるぐらいなら、見る人が多少追いつけなくなってでも言葉を削ぎ落とすべきである。

明示的情報を減らして、あとは相手に解釈させる。それが美であるというのは、この方程式の伝えたいことである。

いささか明示的に書きすぎた気もする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?