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107. ネガティブフィードバックとコップの水

ヒジュラ暦1442.9.19 (2021.5.1)

かれこれ5年の付き合いになるサウジ人の友だちが先日、私に

「最近、気づいたんだけど、私と違って駄々さんは意見を言う時、いつも間接的だよね」と。 *駄々さんとは「私」のこと。

彼曰く、私は、〇〇と思う!とか、好きだ、嫌いだをはっきり言わないと。どうも日本人はそういうところがあるんじゃないかと。

おそらく、それは正しいと思う。異文化間コミュニケーション関係の本を読むと、ほとんどと言っていいほど、日本(人)は「間接的」とか「ハイコンテクスト」文化だとか書かれている。

このあたりの話はステレオタイプと隣り合わせだし、個人差等もあり、話半分くらいで聞くのがいいとは思うのだけど、自分自身をかえりみて、「直接的」か「間接的」かと言われたら、やはり「間接的」だろうとは思う(笑)

ここで話が終われば、そうだよな日本人は間接的だよな~と再確認するだけの話だったのだけど、続く彼の話を聞いていると、この私の「間接的」がサウジ人学生のある行動をうながしているのかもと思うようになった。

彼と私の間でよくする話の一つは、研究の話だ。彼は留学中で私が多少、経験がある分、彼の研究に対してアドバイスをすることがある。改善したほうがよい点、もう少し説明を加えた方がよい点、意味が通らない点、論理が飛躍してる点などを彼に伝える。つまりネガティブ・フィードバックだ。

例えば、

「ここはもっとこうした方がいいかもしれないね。この書き方だと、(論文)の審査に引っかかるかも」

みたいな言い方をする。そうすると、彼の中では、審査に引っかかるかもだから、引っかからない可能性もあるのか、じゃあ、このままで出してみようとなるのだと言う。

この話を聞いた時、けっこう、衝撃だった(笑)
なるほど。世界にはこういう考え方の人もいるのかと。それは、まさにコップに入った水を"あと半分しかない”、"まだ、半分もある”と感じるかみたいな話だと思った。半分どころか、あと一口でも、まだ一口飲めると考ているようだ。

私としては、修正した方がよいということを上のような表現で言ったのだけど、彼には、修正しなくてもよいと伝わったことになる。こちらの意図とは逆向きに動いたことになる。

彼に言わせれば、「ここを直した方がいいかも」ではなく「ここを直して」を言った方がわかりやすいと。

その通りかもしれないが、これには私も多少、理由があって、彼と私は研究している分野も違うし、私は彼の分野のことは知らないことも多い。だから、私ができるアドバイスというのは、一般的で汎用的な部分でのアドバイスに加え、彼の専門分野においては、ある程度の推測でアドバイスをしているからだ。私が間違っていることだって十分に考えられる。だからこそ、断定的には言えないのだ。

最終的には彼がどうするか決断するべきだと思っているから、アドバイスといっても行動の指示はしていない。そのあたりが、彼にとっては間接的に感じられるのだろう。もしかしたら、彼は私をとても信頼していて、私の言うことに従うという気でいるからこそ、もっとはっきりした指示を期待しているのかもしれない。

これは彼の性格に起因するものなのかなと思ったりもしたが、そういえば学生とのやり取りでもあるんじゃないかと。ここでも何度か書いた覚えがあるが、試験の時期になると必ずと言っていいほど、採点や評価に対して学生の交渉が始まる。

友だちとの出来事を通して、私の学生に対するネガティブフィードバックを思い返すと、もしかしたら、それが彼らにとっては間接的で、そこから、自分の評価はもっと高くなる可能性があるんじゃないかと思わせてしまうのかもしれないと。

例えば、何か学生に表現に対して、

「その言い方だと、わかってくれない人が多いと思うよ。」

と言って、減点したとする。そうすると、彼らとしては"わかってくれる人もいるかもしれないから、減点する必要はないじゃないか”と、本気で思うのかもしれない。

つまり、私が言うべきは「これは違います!」という明確なネガティブフィードバックなのかもしれない。ただ、自分が学習者の立場で想像してみて、毎度、毎度、「あなたは間違っています」というのは取り付く島もない感じがするのだ。

私なら、「その言い方だと、わかってくれない人がいるかもしれないね」と聞いたら、"ならもっとわかってもらえる言い方を覚えよう”となり、その減点を受け入れるし、前向きにもなれる

私は無意識的に自分の好みのネガティブ・フィードバックを学生にしていたのかもしれない。

それが、学生の評価に対する交渉の余地を期待させていたのかもしれないと思った。かといって、明日から、「それ、違うよ」と切るようには言えないなと思ったりもする。

友だちどうしの評価場面と、教師と学生の評価場面とでは、話がだいぶん違うとは思うが、自分がしてほしくないことを相手にするというのは、なかなか難しいことだ。


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