見出し画像

57.お願いのしかた

ヒジュラ暦1440.9.12 (2019.5.17)

ラマダンも10日を過ぎ、断食にも“やや”慣れてきた。といっても、午後は頭の中に“お腹すいたなぁ”の文字が太字で鎮座している。


今週、研究室で仕事をしていると、訪問者が来た。私はふだんから部屋のドアを半分くらい開けていて、誰でもどうぞ状態にしているのだが、振り返ると大学のワーカー(worker)さんが立っていた。彼らは主に大学内の清掃や雑用をこなす人たちだ。

そのワーカーさんは、初めて見る顔だった。制服を着ているのでワーカーさんだとわかる。

お互い言葉も通じないので、とりあえず、私は
「ラマダン・カリーム」とラマダンのあいさつを言い、用事は何か、なんとか聞いてみることにした。その人は、あいさつを返すわけでもなく、笑顔ともとれない顔で私をじっと見てくる。しばらく見つめ合っていたのだが、彼が一言、二言、言ったことで私が聞き取れたのは「バングラディシュ」という言葉だった。

おそらく、バングラディシュの人なのだろう。私は「そうですか、バングラディシュですか~」と返して、首をかしげて「なんの用事ですか」と聞いてみるのだけど、それは通じなくて、彼はドアの隙間から私の部屋の中を、じろじろ見ている。初対面の人の部屋をそんなにじろじろ見ないでほしい(笑) 

3分くらいそんな感じで、よくわからないし、あいさつ的なことなのかなと思い、しょうがないので背を向けて仕事を始めた。しばらくすると、彼の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。

何しに来たのだろうかと、しばらく考えていて、“あぁ”と思い浮かんだ。ラマダン中だし寄付的なことを望んでいたのではないかと。ただ、これまで3年半、この職場にいてワーカーさんから寄付を募られたことはなかった。学期中に数回、部屋の掃除を頼んだときや、いつもの担当の人がしばらく休暇で国に帰りますって時には、心づけを渡したりはするが、彼らからそれを露骨に求めるようなことはなかった。

私の中では、彼らの仕事へのお礼としての心づけという発想はあったのだけど、寄付というのは想定していなくて、ただただ見つめ合うということになってしまった。そのあと、同僚の先生に、この出来事と私の予想を話したら、とても珍しいことだけど、寄付が欲しかったのかもしれないねということだった。ちょっと悪いことをしたなぁと思いながら家に帰った。

翌日、また彼が研究室に来た(笑)前日と全く変わらない。表情に読み取れる情報はなく、このままだと、また3分見つめ合うことになりそうだったので、彼の無表情さをカバーするぐらいの2倍の笑顔と気持ちばかりのお金を彼に手渡し、「ラマダンカリーム!」と明るく言ってみた。

私としては、彼がうれしそうにするのを期待したが、それまでの表情と変わることはなく、何か言葉を発することもなく、ただお金は受け取り、何とも言えない表情で、たたずんでいた。せめて、「ありがとう」的な表情が欲しかったが(笑)、なんとな~く彼は去っていった。もやもやした。額が少なかったのだろうか…


話は変わり、その日、あるサウジ人から1年ぶりに携帯電話にメッセージがきた。だいたい、メッセージが来るのはお願いがある時だ。その人のお願いの仕方が毎回、こんな感じ。

「とても小さいお願いがあって、それをしてくれると助かります」

で、そのお願いの内容が解釈の幅が広くて、必ずしも「小さい」とは思えない(笑)だから、私は毎度、小さいお願いに応えられない。そのたびに、もやもやするのだ。

お願いをする側が、お願いの負担度を設定する(しかも低く)のは、一般的にはNGだと思う(笑)小さいお願いは、承諾して当たり前、断れば、何でその程度できないの的な気持ちになり、依頼を受ける側としても、すっきりしない。

この日は2人からお願いをされたのだけど、なんとも、しっくりこなかった(笑)これが文化的なことに由来するのか、個人の性格に由来するのか、わからないのだけど「お願い(依頼)」という行為には、暗黙のルール、流れがあるんだということを実感する。依頼の始め方、本題、終わり方。依頼は人間関係を進展させるための階段のようなものだと思う。うまく依頼が成立すると、仲良くなれる。逆にうまくいかないと、関係性は進展しない。


どうも、私と彼らの関係性は進展しそうにない。ただ、私にお願いをした2人が、私との関係性を進展させたいのかもわからない(笑)

いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!