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Y:58 【読書メモ】世界は美しくて不思議に満ちている――「共感」から考えるヒトの進化

【感想】

私の素朴な信念として「人間(生物)にとって良いものは世代を超えて残っていく」というものがある。それは、雑に言うと進化論のようなものだけど、この信念で考えると"なぜ、これが残っているのだろう”と思うことが出てくる。

例えば、宗教は人々に多大な幸福や救いを与えているとは思うが、その一方で、歴史上、多くの争いの原因となってきたのも、また宗教だと思う。宗教で生かされた人、命を落とした人、どちらが多いのだろうと考えると、宗教の存在意義について少し疑問に思うこともある。

この本では「若さにこだわる理由」「心(の誕生)」「利他的行動」「共感」「子どもの虐待」「宗教」などについて自然人類学(進化心理学的?)の観点から説明がされている。本文は過去に著者が他媒体で書いたものを集めてきたものなので、内容が重なったり、テーマが散らばっているようにも見えるが、ヒトがどのように進化してきたか、その過程において、「心」の果たす役割をヒトの特徴的な行動から説明をしていてどれも興味深く読めた。

著者が自然科学の研究者であるので、私たちが信じる(期待する)世界をバッサリと冷たく科学で切ってしまっているように一見、思うかもしれないが、むしろ、著者は事実をヒトの進化の過程という、きわめて長い時間軸でとらえることで、いわゆる対処的な精神論に落とし込まず、クリアに原因が語られるので、誠実に感じるし、著者自身がヒト、大きくは生物、世界をポジティブに見ていることが文章から感じられる。それはこの本のタイトルである『世界は美しくて不思議に満ちている』という著者の世界の見え方なのかもしれない。

本書の内容の概要は、この動画でけっこう話されている。

この後、長々と気になったところをまとめたり、張り付けたりするけれど、そこに全く入れてない部分で、上の動画にもなくて、すごくよかったのが北極紀行、その一(フィールド篇)、北極紀行、その二(歴史篇)。←ここだけ読んでも楽しめる。著者が旅行社が募集する北極ツアーに行ったときのことを書いた文章なのだけど、人類学者のフィールドノート的な記述は読んでて、わくわくするし、何より著者自身が楽しんでいる様子が伝わってきて、楽しく読めた。好奇心に満ちているのが素敵だった。

以下、勉強になったポイントや自分の考えなどを章ごとに。

情報過多と好奇心のゆくえ

・チンパンジーとヒトの共通祖先が分岐したのは600万年前。両者の違いの根底は、好奇心の持ち方新規性追求の精神の違いがある。チンパンジーはアフリカの森林にとどまったが、ヒトは宇宙にまで進出した。

 なぜ「若く」見られたいのだろう?

・社会や時代が異なっても一般的にどの文化においても、とくに女性の美しさとして取り上げられる形質のほとんどは、若さの指標でもある。

進化とは、生物の形質が世代とともに変化していくこと。より厳密にいえば、形質の表現にかかわる対立遺伝子の頻度が世代を経るごとに変化していくことである。それには、偶然による変化である中立進化のメカニズムと、方向性をもった変化である適応進化のメカニズムの二つがある。
・ 現在の私たちヒトは、ホモ・サピエンスと呼ばれる種である。
・進化的にはチンパンジーともっとも近縁。現在のチンパンジーの系統と人類の系統が分岐したのは、およそ六〇〇万年前。
ホモ・サピエンスの特徴は採集を中心とする雑食であること、社会集団で暮らし、共同作業によって生計を営み、親以外の人々も子育てにかかわる共同繁殖であること、寿命が長く、子どもの成長速度が遅いこと、
脳とからだの基本的な作りは、この文化的変化に呼応してリアルタイムで進化してはいない。
・哺乳類としては繁殖可能期間が短いヒトは「女性の若さを示す特徴に対して敏感に反応することで、繁殖可能な相手を見つけたと考えられる。「若さ」を魅力的と感じることは、ヒトの繁殖戦略において決定的に重要な要素であったに違いない。

⇒男性が女性の若さを魅力と感じるのが気まぐれな文化的概念ではなく、進化の産物と言っている。こういう話は男性が自分に都合よく使いそうな話でもある。チンパンジーの雄は若い雌より育児経験の豊富な雌を好むというのもおもしろい。

 進化論から考える「心」の誕生


・人間も動物も外からの刺激を受けると、その情報を脳で処理し、何らかの反応や行動を起こしますが、人間の脳はその過程に「心」が介在していると考えます。これを「メンタライジング」と言う。「メンタライジング」は他者に「心」を想定して他者の意図や行動を理解しようとすること。
・心が発生した理由として森を出たヒトはサバンナでは食料の確保が難しかった。そこで、人類の祖先は、大きな集団を形成し、互いに協力して狩猟や採集などで食料を確保する必要にせまられたと考えられる。この状況で互いに「心」を共有し、協力することができなかった個体は滅び、協力がうまくできた個体の子孫が現在の人類に進化していったと考えられる。
・言葉から相手の「心」の状態を類推するこれが「心」の発生。人類は「心」を持ったことで、集団内の他のメンバーの意図や気持ちを類推し、それにつねに気を配りながら行動するようになった。そして、そう思っている自分を含めた全体をメタ認知することで、社会関係全体を多次元的に把握できるようになった。
・ヒトの赤ちゃんは他人を助けようとするがチンパンジーは、困っているチンパンジーがいても、「助けてくれ」というシグナルがそのチンパンジーから出ない限り、何もしない。
・「心」が可能にする「協力」は他の動物の協力行動よりも格段に規模が大きい。さらに重要な特徴は他の動物は通常、遺伝子がかなり似ている、血縁の近い範囲でしか協力できないのに対して、人間は血縁を越えて広範囲に協力行動を拡大することができることです。これが「共同繁殖」を可能にする。人間は知らない他人の子どもでもかわいいと感じるし、見ず知らずの人にも赤ちゃんを抱っこさせたりする
・協力できる「心」の基礎として、認識的に他者に共感することができることが重要。協力関係にあることの記憶や、一緒に何かを成し遂げた経験をもって、協力した「他人」に共感し、彼らとの関係を「血縁者」や「家族」同然のものと感じられる。同時に境界を引き断ち切ることもでき、それが虐殺につながる。差別も似たようなことだろう。

⇒心が、他者とのコミュニケーションをするために進化したというのは興味深い。それが、結果として哺乳類には珍しい「共同繁殖」を可能にする。そう考えると、育児の「ワンオペ」のというのは、ヒトの進化に逆行する生き方で、私たちにとってすべきではないことだと、生態学的にも理解できる。一方で、現代社会だと、「共同」に対して抵抗感があることも事実(ベビーシッターの問題とか)で、このあたり、どうしたらよいのかわからない。


ダーウィンの淘汰による進化の理論

・ダーウィンが提唱したのは
(1) 生物の個体間にはさまざまな変異がある、
(2) 変異の中には、個体の生存と繁殖に影響を与えるものがある、
(3) そのような変異の中には、親から子へと遺伝するものがある、
(4) 個体の生存と繁殖には競争が働く、
という四つの条件が整えば、「生物は世代を経るにつれて、その環境で生存・繁殖に有利な形質を持つように、すなわち適応的になるように進化する
・自然淘汰の議論では、おもに個体が物理的環境に対してどのように適応できるかを念頭におく。
・配偶相手の獲得をめぐる競争のあり方を検討し、性淘汰という概念を別に提出した。
進化の理論は文化にも当てはめることができる。物質文化も進化するが、「考え方」に関する文化も進化する。いろいろな人々が異なる考えを表明することに変容して伝えられる。生物の進化も、必ずしも「進歩」ではなく、現代の文化進化の理論は、文化の諸要素の複製、伝達に何がかかわっているのか、ずっと洗練された分析を行っている。

⇒「進化」は必ずしも「進歩」ではないというのは、誤解していた。ポケモンのように「進化」というのは常により強力になることだと思っていたのだけど、階段を上るイメージではなく、「その環境により適応的な選択」した結果と解釈するべきなのだと思った(適応的な選択というのは、より強いという意味も含まれるとは思う)。

ヒトの「はじまり」


・ヒトにもっとも近縁な類人猿はチンパンジーであり、ヒトとチンパンジーの共通祖先から両者が分かれたのは、およそ六〇〇万年前。
・チンパンジーはヒトに成り損なった「下等な」種で、下等なままにとどまっているが、人類は進歩してきたという、いわば「はしご型」の進化観が、一般にはまだ見受けられるように思える。しかし、これは間違い。
・進化は、さまざまな種が時間とともに分岐し、それぞれが存続したり絶滅したりしながら現在に至る「樹木型」
・大きな脳は、それを作るにも維持するにもコストがかかる。だから、黙っていれば大きな脳が進化するということではない。脳の大型化を促した進化的圧力は社会的な知能に有利だったということ。社会関係の記録、適切な社会的相互作用を行うためには多くの情報処理が必要だった⇒社会脳仮説
・人類の進化には高栄養で高エネルギーの食料を取ることが必要でそのために人類進化のどこかの時点で、競争的な知能から協力的な知能へと変わったことが、ヒトの成功を導いた鍵なのではないか、ということだ。
・ヒトにもっとも近縁な動物であるチンパンジーにおいても、協力行動は非常に限定的。チンパンジーはおせっかいをしない。⇒助けを求められるまでは、助けない(助けが必要であることが推測できない)
・心の状態の共有があれば、意図が共有でき、共通の目的のために共同作業ができるようになる。言語は、抽象的な概念や、今目の前にない事柄について伝達できる優れたコミュニケーションのシステム。

⇒動物(ヒトも動物なのだけど)は、人間より進化的に下等であると考えている人は多い気がする。「畜生でも〇〇」みたいな話は、そういう感覚が背景にあると思うけど、実際は枝分かれモデルだということは重要だと思う。

「競争的な知能から協力的な知能に変わったことがヒトの成功の鍵だった」ということだが、私の感覚からすると、現代社会はとても「競争的」に思える。スポーツやサービスは競争の中でよくなるというのも事実としてはある。ただ、「察する」とか「相手の心境を想像する」みたいなこともスポーツで勝つためやサービスの発展には重要で、このあたりは「協力する」ための脳の活用だと思った。


ヒトは共同繁殖


哺乳類の95%は母親のみが子どもの世話をする。残りの5%は両親が世話をする。キツネ、タヌキ、マングース等
・鳥類は両親がそろって世話をするのが全体の95%
・ 親以外の子育て要員をヘルパーと呼ぶ。ヘルパーは繁殖しないのは、なわばりに空きがないとか、繁殖相手がいないなど生態学的要因がある。
・鳥類と哺乳類の共同繁殖は繁殖可能性の限られた個体が、事前の策としてヘルパー戦略をとる結果で生じると考えられる。
ヒトの生計活動そのものが共同作業を前提に成り立っていて、子育ても同様。子育てのすべてが親または両親のみで行われている文化は存在しない
・ヒトはそれまでの類人猿の暮らしとは全く異なる生態学的ニッチェへと進出したそのために、共同作業が必要になり、社会的コミュニケーションをする必要が出てきた。それによりヒトの脳は250万年前あたりを境に急激に大きくなった。それは新しい生活に対する適応。
・哺乳類という動物は、母親が妊娠、出産、授乳するので、一匹一匹の子に対して、かなりコストをかける戦略
・子どもを産めば母性本能が湧いてくるのが当然で、母親は必ず子どもをかわいいと思うはずだと考えるのは誤り。現在の繁殖の条件がよくないと感知されたときには、親が子を捨てる行動は進化する。

⇒現代社会とヒトがこれまで歩んできた社会とのギャップが大きいのは「育児」についてだと思う。このあたりは「道徳的」な期待に苦しめられている人は多いのではないかと思う。親以外、血縁関係にない大人さえも子どもを育てることに関与する「共同繁殖」が前提の動物であるヒトが、なんとなく両親、場合によっては片親のみで育児の大半を担わなければならないのは本当に大変な事で、確かにお金を出せば、「共同繁殖」をすることは可能だが、それはお金がなければできないわけで、出生率が少ないというのは、繁殖の可能性が低いと感じているヒトの妥当な選択とも思える。


利他の心の進化


利他行動とは行為者は適応度上の損失をこうむるが、行動の受け手は適応度上の利益を得るような行動
・利他行動は集団全体の利益になるため群淘汰論からすれば問題はないが、それほど採用されてはいない。
・現代の行動生態学の中では、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンによる血縁淘汰説と、ロバート・トリヴァースによる互恵的利他行動の進化の理論が、ダーウィン以後の二つの画期的な展開。
・互恵的利他行動は、相互扶助行動の特別な場合。メリットの発生に時差がある。
・社会性の高い種は、他個体といっしょにいることを、単独でいるよりも好む。同種の個体が集まって暮らすことはには、それに伴う利益も損失も存在する。ヒトにはありとあらゆる文脈において協力行動を引き起こすことのできる基盤になるような何らかの「向社会性」が遺伝的に備わっていると考えられる
・「心の理論」:他者の心の状態を推測する認知機能。チンパンジーはヒトの乳幼児より劣る。
・ヒトにおいて重要な能力「因果関係の推論」因果関係の理解と心の理論とが一緒になると、他者の心がなぜそのように動いているのか、他者を喜ばせたり、悲しませたり、怒らせたりしている「原因」は何なのかを理解できるようになる。

⇒これまでの研究では利他行動の進化を行為者にとっても究極的には自分の遺伝子を残すのに有効だから、行われるとしている。それを支えるのが他者の心を理解する「心の理論」。赤ちゃんでさえも、相手が何を考えているか単純な実験環境下では理解している。

進化心理学から考える「共感」


・定義上、その行動によって自らの適応度が上昇するような行動は進化する。それでは、自らの適応度は下がるが、行動の受け手の適応度が上がる行動、すなわち利他行動は進化するだろうか。
「公正感にこだわる」ことはヒトに普遍的であり、つまり、どの社会でもヒトは、ホモ・エコノミクスが想定するような自己利益の最大化をはかることはなかったのである。ヒトとは進化的に遠いフサオマキザルにおいても「公正感」と言えるものが存在することを示した。
・「共感」には種類がある。他者が腕に注射を刺されているのを見ると自分も痛みを感じる「情動伝染」。これはラットにもある。「感情移入」勇壮な音楽を聴くと自分も鼓舞されたり、サスペンス小説を読んで、主人公の不安を我が事にように感じたりする。「認知的共感」がある。これは、他者と自己を明確に区別した上で、他者の状態を理解し、その感情状態に共鳴することを指す。自分とはかけ離れた地域で起きている紛争の犠牲者の気持ちを、その状況を想定して理解するような場合である。認知的共感はヒトに固有。


女性が閉経後も長く生きるわけ

共同繁殖のため

生態学から考える「持続可能」な社会

・生物多様性を保つことの重要性についての厳密な科学的理解は、まだ十分ではない。
・生態系は「食物連鎖」という言葉から想起されるような、下から上への単純な直線的関係ではなく、さまざまな生物種が網の目のような複雑な関係に取り囲まれている。現在では「食物網」という言葉のほうがよく使われる。冗長性と構造の不均一性が強さを与える。
・アルヴァードは、ピロの人々の狩猟行動は、環境保全を配慮したものではなく、短期的な肉獲得率の最大化をはかる最適戦略であると結論づけている。
・実際に彼らが行っている活動は、短期的な利益の最大化であるかもしれない。それでも、自然と調和していられたのは、狩猟技術の精度が低かったことと、人口がそれほど多くないこと、そして、商品経済のために獲物を獲るということがなく、食べる分だけ獲っていたからなのかもしれない。
・家畜や土地や、金銭としての財産を残すことが、将来世代のためになることは理解がしやすい。しかし、「地球環境を保全する」ことや「持続可能な」状態を維持することが、どのようにして将来世代のためになるのか、そのことに対して個人が行うどんな行動が、自分の子孫の利益になるのか、その因果関係やフィードバックループが明確ではない。

⇒「持続可能」な社会はヒトの生存にとって有利なはずなのに、それができない。そのためには、より明確なフィードバックループが必要と言っている。この辺りは、少し主張が物足りなくて、ヒトが地球環境を破壊することは、適応的な行動ではないはずなのに、それがどんどん進んでいる。このあたり、もう少し進化心理学、自然人類学の観点からつっこんでほしい。


行動生態学から考える「子どもの虐待」


ヒトも動物であり、自分の置かれている状況に応じて、さまざまな欲求に優先順位をつけ、行動選択をしている。ヒトは普通の状態では、法律や社会規範に従わねばならないという認識があり、それに沿って行動することの優先順位は高い。
状況がひっ迫すれば、法律や社会規範には沿わない欲求のほうが優先順位が高くなることも生じる。子どもの虐待もそのような行動の一つ
・ 親が子育てをしないか、するかの分かれ目は、親が現在の子のために時間とエネルギーを投資した場合に子の生存率が向上する度合いと、そうすることによって、次の繁殖のチャンスが減少する度合いとのかねあいで決まる
・未婚の母が産んだ子どもや不倫関係からできた子どもなどに対し、社会が強い拒否感情を示すのは、共同繁殖をの負担を負いたくないという感情。不倫や近親相姦など、「正当でない」配偶関係が嫌われるのは、そのような配偶自体ではなく、むしろ、そこから生まれた「正当でない」子どもに対する共同養育の負担を負いたくない
・子殺しがは現代の社会倫理に照らせばそれは許されないことであるが、生物としてその選択があることは、自然の法則として理解されねばならないものだと筆者は考える
ヒトの子どもは、なぜ泣きやまない、可愛くない、という行動をとるのか。類人猿の子どもはほとんど声を発しない。⇒共同繁殖の動物なのだから、、そうして発信すれば、親以外の誰かが来てくれる。
・そこで、「現在は子育てに適切ではない」状況に置かれた親たちは、その状況を自分たちだけで打開せねばならなくなったのだ。虐待する母親を「鬼のようだ」などと非難するだけでは、何の解決にもならない。

⇒児童虐待を個人レベルの原因にしないことは重要だと思う。それは誰にでも起こりうることで、それはある意味では自然であることが、スパッと書かれている。今の子育てと未来の子育ての成功の可能性を、天秤にかけているだけで、これは直感的、情緒的には受け入れがたいのだけど、そうであるからこそ、児童虐待が単なる個人の問題ではなく、環境的な要素の影響が大きいともいえる点で、重要な指摘だと思う。
ヒトの子どもがよく泣くのは「共同繁殖」と関係しているのは興味深い。ただ、現代社会(日本の多くの場所)では、子どもが泣いても親以外に助ける人はいないと思う。それを受け入れる親も少ない気もする。


進化生物学から考える「宗教」


・宗教とは、既知の物質には還元できない何らかの超自然的存在を仮定し、それによって世界を説明し、人間がするべきこと、してはならないことについての教訓を示すものと定義する。
・原初的な「宗教」的概念が創発的に生まれたあと、それがどのように洗練されていくかは、遺伝子ではなく、文化進化の領域だと考えるのが妥当であろう。
・宗教の機能
 第一に、それは、この世界の成り立ちや私たちの出自、人間が存在する理由、その他さまざまな現象が「なぜ」起こるのかを説明する。これは因果的説明。
第二に、宗教的概念は、何をしてはいけないか、何が善であるか、道徳的な判断の指針を与えてくれる。それ自身は、人間の集団が蓄積してきた処世術の集大成として生じるのかもしれないが、宗教はそこに超自然的存在による権威を与えている。
第三に、宗教は、死と死後の世界について、何らかの説明、描写を与えてくれる。
第四に、宗教は、この世の悲惨に対する慰め、救いを与えてくれる。
第五に、宗教は、内集団と外集団を区別し、内集団の結束を固めて外集団と対峙する力を与える

・無神論者の筆者が2004年にカンボジアのポル・ポト政権下での虐殺の血を訪れたあとに、何でもよいから寺院で祈りたい欲求にかられた。
この世は不公平と悲惨と理不尽に満ちている。それがなぜ起こるかの説明が認知的に理解できても、その理不尽さを自ら是正できない限り、情動的に満足がいかない。この世で悲惨な運命にあった人間が来世で浮かばれ、この世で悪をなした人間が来世で罰せられるという物語を作ることにより、宗教は、この情動を満足させてくれる。これは、因果推論の能力と道徳感情が結びついた結果として生まれる心情であろう。
・ヒトには、よく知られた認知バイアスが三つ存在する。それは、自分は他人よりも優れていると考えるバイアス(優位性バイアス)、自分だけには不幸な事態は起こらないと考えるバイアス(楽観性バイアス)、自分は事態をコントロールできると考えるバイアス(制御可能性バイアス)である。この三つは、どの人間集団にも存在する、ヒトに普遍的なバイアスであると考えられている。
・宗教はこの三つの認知バイアスを肯定・促進したり、または、この三つの認知バイアスを制御しようとしたりするのではないだろうか? 筆者の仮説では、「自分たちは神様に選ばれた優れた集団である」という選民意識、「神様を信じていれば悪いことは起こらない」、「神様は何もかもお見通しである」などの考えは、これらの認知バイアスにすり寄った考えではないだろうか? ヒトの持つ認知バイアスを肯定し、それを煽ることによって、人々により強く受け入れられているように思われる。 一方、仏教のような宗教が、「すべての生き物は生々流転する」、「世は無常である」としたり、欲望を超越した悟りを推奨したりするのは、この認知バイアスをあえて消すように仕向けていると、言っている。

⇒この章は刺激的だった。この世の理不尽さを情動的に満足させるのが宗教だという感覚は、すごく理解できる。理不尽な出来事に出会った時にそれを自分の中でどう収めるか。それに宗教は一つの解を与えてくれる。
宗教の機能である内集団と外集団を区別し、内集団の結束を固めて外集団と対峙する力を与えることこそ、「協力」と「競争」の促進だと思った。つまり、宗教はヒトの進化にきわめて適応的なシステムということだ。sまた、宗教がヒトが持つ認知バイアスを促進、抑制するという仮説もおもしろい。


ヒトの進化と現代社会


病気になって熱が出るのは体の防御反応で、「休んだ方がよい」という警告。一方で糖分や塩や脂肪の取り過ぎに対しては体は何も警告しない。なぜ、警告が出ないかと言うと、それは、私たちの周りに砂糖や塩、脂肪が有り余るほど存在し、安く手に入るようになったのはヒトの進化史の中でごく最近のことだから。つまり、からだはこれらのものが「摂り過ぎ」になる状態を警告するようには進化していない。だからダイエットは難しい。
・雄には、雄どうしの闘争に有利な角や牙などの「武器」的形質が進化し、長期的な生存よりも短期的な繁殖成功を優先させるリスクをとる性質が進化する。
・雌には、雌どうしの競争は少ないので「武器」のような形質は進化せず、長期的に自分と子どもの生存率を上げるような性質が進化する。それは、どちらかと言えば、リスクを回避するような性質
・「共同繁殖」の動物であるヒトにとって個人主義やプライバシーなどの概念による子育てを核家族の中に閉じこめるのは無理がある。
・「働く女性のために保育所を」ではなく、「ヒトは共同繁殖の動物なのだから、共同繁殖のネットワークを再構築せよ」と言うべきなのだろう。

⇒時々「体の欲するものを食べた方がよい」という健康のためのアドバイスがあるが、私だと、いくらでも甘いものを食べたくなってしまう。ただ、汗をかいた時に、塩分を取りたくなるということもあり、果たして、体は正しいものを欲するのだろうかという疑問があったが、これで解決できた。前者に対しては進化的に体は対応していないということだ。だから、体が欲するままに食べたら危険だということだ。
「働く女性のために保育所を」ではなく、「ヒトは共同繁殖の動物なのだから、共同繁殖のネットワークを再構築せよ」というのは、自然人類学の観点からの提案で、とてもよい。もっと、原始的な部分からアプローチが必要だということ。

結 科学技術文明はどこへ向かうか


・ヒトは、言語や数学などの記号を駆使し、抽象的思考でものごとの因果関係を解明し、それらの内容を互いに共有し、みんなで協力して知識や技術を改良していくことができる。この「協力」、「共感」というものが、いかにヒト固有であるのか、他のどんな動物にも見られないほど高度なレベルの社会性こそが、私たちヒトの最大の特徴であり、強みである。
・ 生物としての私たちの成功の秘訣は、人々が互いに心を共有し、共感し、同じ目標に向かって協力できることなのだということを、より多くの人々に再認識して欲しいのである。もしかして、これはあまりに当たり前のことなので、かえって認識しにくいのかもしれない。

⇒実はこの本を読み終わってみると、著者が重要だという「協力」や「共感」というのは、昔から私たちが大切にしなければならないと教えられてきていることでもある。たどり着いたゴールは同じなのだけど、それがヒトの進化の過程で残し受け継いできたものであるということがわかると、これまでとは、また違った気持ちでその大切さを受け入れられる。


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