ゲームのアドバイスとアドバイスしすぎと「能力」の主語の移行と『ボードゲームで社会が変わる』
『ボードゲームで社会が変わる 遊戯するケアへ』が大オススメ。河出新書、本体900円、229ページ。
著者は、與那覇潤、小野卓也。
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第二章では、有識者6名とボードゲームをプレイして、その方たちがどう感じたかという原稿も載っています。
ボードゲームマニアックな本ではなくて、ボードゲームが社会とどう繋がっていくか、が書かれている本です。
著者のひとり、與那覇潤さんは、『知性は死なない』という本を書かれてて、これがまた面白い。
鬱になった体験談というか社会批評というか、どの棚に置いてよいのか迷う独自性の高い本で、闘病記というよりも鬱になった当事者が体験を通して社会を分析し批評し、属性主義や能力主義の限界を超えて新しい社会を構想しようとする内容。
第6章「病気からみつけた生き方」で、入院しているときにボードゲームを遊んだ、というエピソードが登場します。
南フランスの城郭都市をテーマにした『カルカソンヌ』を遊んだことが紹介されて、カルカソンヌの特徴として、手札がない、つまり自分だけが知ってる秘密の情報がない。地形タイルをめくって、中央の場に配置してく。このときめくった地形タイルは、自分だけが見るんじゃんくて、みんな見えてるから、他のプレイヤーが「冒険するなら、こっちに置く手もあるな」とかアドバイスできる、と。
『カルカソンヌ』に限らず、現代のボードゲームプレイヤーの多くは、勝つことを目指してプレイするけど、それはそのほうが場が楽しくなるからであって、最終的な目的は、楽しく遊ぶこと、なんですね。
だから、そのゲームのスキルがないからといって責めたりしない。アドバイスして楽しむ。どこまでアドバイスするか、アドバイスしすぎるとおせっかいで、その人が楽しめなくなっちゃうからな、っていうところまで考えながらプレイしている。
そういった体験を通して、ジェームズ・J・ギブソンのアフォーダンスという概念をこういうふうに解説するんです。
「能力」の主語を、人からものへと移し替えるための概念だ、と。
人が走る能力があるという考え方じゃなくて、平らな道が走るという行為を人に提供している、アフォードしてると考える。
階段は2階への移動を健常者に提供するけど、車椅子の人にアフォードしない、とかね。
ビルの外壁は「登ること」をロッククライマーにアフォードするけど、健常者にアフォードしない、とか。
人の能力を軸に考えるのではなくて、物や環境がどれぐらいのレンジで人を受け入れるのかで考えてみようという提案なわけです。
ボードゲームのプレイ体験からそういった思考を経て、友だちとは何かを再定義する。
友だちとは「属性や能力にかかわりなく、あなたとつきあってくれる人」である、と。
こういったスリリングな思考が展開する本です。
で、この『知性は死なない』の第六章をさらに深めたもの、実際にプレイしたことをテキスト化し、ボードゲーム普及活動の先駆者である小野卓也さんと対話した本が、『ボードゲームで社会が変わる』。
小野卓也さんは、もちろんボードゲームマニアックな人でめちゃくちゃ詳しい人であると同時に、ボードゲーム普及活動の先駆者だけあって、マニアックでありながらポピュラリティのある語りになっていて、対談部分がめちゃくちゃ面白い。
「原則自己紹介しない」ボードゲームカフェがあってその理由は何かとか、ゲームマーケットの歴史とか、『プエルトリコ』というゲームを実例にした「ポリティカル・コレクトネス」の話題とか、インプットランダムネス、アウトプットランダムネスの話とか、ピックアップの仕方と説明の的確さ、勉強になります。
『ボードゲームで社会が変わる 遊戯するケアへ』オススメです。
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