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その魂に届けと叫ぶ~米津玄師「カムパネルラ」に呼び起されたあの夏の哀哭

紅蓮の炎をあげて燃える戦闘機。
血に染まりグッタリと命尽きた特攻隊員を天へと救い上げる天女達。

知覧特攻平和会館で目にした壁画「知覧鎮魂の賦」
ある夏の日、私はこの絵の前から一歩も動けずにいた。


米津玄師「カムパネルラ」を初めて耳にしたのも8月、うだるように暑い夏の日だった。
「銀河鉄道の夜」のカムパネルラだと理解した。友人ジョバンニをいじめていたザネリを助けようとして溺れて亡くなった少年カムパネルラ。
生かされた者の悲哀と贖罪の念。絶対的な「死」を前にして嘆くことしかできない人間。
それでも人は、届かぬ想いや癒えない傷を抱いてこそ「与えられた時」は切なく輝くのだ、というメッセージが、叫びにも似た米津玄師の歌声と共に私に突き刺さった。

《光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル 君がつけた傷も 輝きのその一つ》

この時はまだ米津玄師がどういう思考にて「カムパネルラ」を作詞作曲したのかはわからなかった。が、彼の「カムパネルラ」に込めた祈りが、その想いが、計り知れないエネルギーを持って私の記憶と情動を呼び起したようだった。
あの日、私の中に呼び起されたすべてをここに伝えたいと思う。


第二次世界大戦末期、航空機が搭載した爆弾もろとも敵艦に突っ込む「特別攻撃隊」が鹿児島の知覧から出撃し、多くの若き命が散った。知覧特攻平和会館はその出撃基地の跡地にあり、後世に戦争の悲劇と平和への祈りを伝えている。

17歳、19歳、23歳・・・
あどけなささえ残る遺影がびっしりと並ぶ。
私から見たら、この子もこの子もこの子もこの子も凛々しくて男前で、可愛くて可愛くて、ただ可愛かった。彼らの身に起こった事実はもう誰にも変えられないけれど、その魂ひとつひとつを私の精一杯で抱きしめてあげたかった。
息の詰まるほどに熱く痛い涙を流しても、頭の中の言葉をどれほど探しても、息子を持つ母として私はこの感情を言葉にすることがどうしてもできない。できるとすれば、あの慈愛に満ちた天女達と共に彼らは美しい場所へ旅立ったのだと信じることだけだった。

《カムパネルラ そこは豊かか 君の目が 眩むくらいに》

23歳、特攻隊員が婚約者に宛てた手紙にはこうある。(一部抜粋)
「書くことはうんとある。しかしそのどれもが今までのあなたの厚情にお礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。」「あなたの幸せを願う以外に何物もありません。」
「あなたは過去に生きるのではない。あなたは今後の一時一時の現実の中に生きるのです。」
18歳、母に宛てた手紙。(一部抜粋)
「今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。」
「お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。私が一番怖いのは、母さんの涙です。」

《カムパネルラ 夢を見ていた 君のあとに 咲いたリンドウの花》
《この街は 変わり続ける 計らずも 君を残して》

リンドウの花言葉は『悲しんでいるあなたを愛す・正義』
きっと愛する人を守ることが「正義」であった。
愛する人の幸せに、命を懸けた。自分の死を前にしながらも、あなたは悲しみを乗り越えて幸せになってほしいという純真なる祈りに深い深い愛を感じる。

しかしながら、この若さで「死ぬ意味」を探さねばならなかった彼らの無念や苦しみ、恐怖は想像を絶する。その上での祈りだということを私達は決して忘れてはならないと思う。

もうここにはいない彼らの愛と悲哀を胸に抱き、生かされた者達は何を思い、何を憂い、変わり続ける日々を生きていくのだろうか。

《あの人の言う通り いつになれど癒えない傷があるでしょう》
《黄昏を振り返り その度 過ちを知るでしょう》

「時代」という大きな渦の中にいて、為すすべもないことがあるだろう。しかし、生かされた者はどうしても自罰的な思いを消し去ることができないのかもしれない。
「もしあの時、私が・・・」という瞬間を繰り返し思い描いては苦しみ続けるかもしれない。
「社会」と名付けられた得体の知れないものに飲み込まれ、犯した罪の重さに耐えきれない時もあるかもしれない。

だけど「死ぬ意味」を探した彼らは言う。
「あなたは今を生きろ」と。「すべてを抱えても」と。

人は必ず死ぬ。それは1人の例外もなく定められた理だ。
ただその人が「生きている」間に起こるすべてはその人にしか起きない。その人だけのものだ。
十死零生の作戦を告げられし時の心臓の鼓動も、その戦闘機の扉が閉まる音の響きも、まさに逝かんとする刹那の慟哭も。脳裏に浮かぶ故郷の風景も、母の優しい声も、初めて恋をした時の胸の熱さも。
決して誰にも体験できない、その人だけの「生」だ。
だったらその「生」で起こったすべてに意味づけできるのは自分だけなのではないだろうか。

「生きる意味」など誰にもわからない。であれば、どんな意味づけも許されているということだ。
自分だけの「生」に自分が意味づけをする。
誰かが決めた幸せや不幸など、どうでもいい。
「今ここに立つ自分」が「美しい」と解釈してしまえばいい。
目の前の現実に打ちのめされて胸が鉛のように重く吐きそうな夜でさえ、「美しい」と私は決める、と決めてしまえばいい。
最後の瞬間まで自分が意味づけたことだけがこの人生の真実だと私は思う。
迷い悩んでも、美しいと決めた瞬間を積み重ね積み重ね、選び辿り着いた「今」以上のものなど自分の世界にはないのだ。

彼らの残してくれたすべてが教えてくれた。
自分はこの運命に意味をつけた。そして振り返れば、生きてきたすべての記憶が美しく感謝で溢れていることに気づいた。
だから生きていくあなた達は、あなたにしか味わえない痛みも寂しさも醜さですら輝きに変えて、「今」を「美しい」と決めて生きればいいのだと。
いつか終わる日まで。

《光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル 君がつけた傷も 輝きのその一つ》

《追い風に翻り わたしはまだ生きてゆける》

弱いなら弱いまま。悲しいなら悲しいまま。
それでいい。と、私が決めた。
凛として。
今、私は私を生きてゆく。


《波打ち際にボタンが一つ 君がくれた寂しさよ》

「君に会いたい」
海の彼方、暗闇に手を伸ばし気の狂う程もがき苦しんでも決して届かない。
生と死の境界線。
波打ち際にたたずむと、波の引く度に引きずり込まれそうになる。
穏やかな潮騒とは裏腹に、その抗えないほどの力に恐ろしさを感じる。
生と死の隔たりは絶望的に絶対性を持つというのに、その一線を越えるのは本当はとてもあっけないのだ。
「ボタン」はそれを教えるために君が送ってくれたのだろうか。
「だから終わる日まで、あなたを生きろ」と。
だとしたら今はまだ裸足の指で懸命に砂をかみ、この魂の限り叫ぶだけだ。

《終わる日まで寄り添うように 君を憶えていたい》

《カムパネルラ》

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