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子どもは「褒められる」と「見下されている」を同義で理解している場合が有るのだろうか。

2020.7.10.金 #354日目

この日、泣き虫さんの子をプールに入れましたが、あっという間に手名付けてしまって、人間が変わったように笑顔でプールを楽しんでいましてですね。

そんな中、思ったことがあるのです。

「子どもは、果たして子ども扱いされることを好んでいるのだろうか…」
と。

例えば、記憶を遡って欲しいのですが、
よくわからない大人に褒められた時に、言語化はできないにしても「舐められてる」と感じた経験がありませんか。

「よくできまちたねぇ」
「○○ちゃんえらいねぇ」
みたいに、知らない大人に褒められた経験って今思い返してみてどう感じますか。

幼少時代のボクは偉そうな先生に対して、こう思ってました。

「算数できたくらいで頭を撫でてくるな」
「片付けくらいできるわ」
「手伝うくらい当たり前だよ」

これは、ボクが性格の悪い子どもだったからなのでしょうか。どうだろうか。

恐らく、以下が重要ポイントです。
・相手が「よくわからない大人」
・褒めることは上下関係


しかし、ボクにも失敗経験があります。

数年前子どもたちと関わる際には無駄に褒めてしまったことがあるのです。

ボクの幼少の頃のような子どもからすれば「どこの馬の骨なんだよ」ってなるなぁと反省しております。

*言っておくと、好きな先生には山ほど甘えて抱きついたり膝に乗ったりしてました。
*なんなら先生に恋しているレベルの幼稚園児でした。

実際に、相手を見下していてないと「褒める」という発想には至らないはずです。
だって、目上の人間とか能力のある人間がそれ以下の人間に対してする行為なんだから。

見下しているというのが分かり難ければ「上から目線」と読み替えても大丈夫です。


ここまでを踏まえて、
ボクが子どもと接するときに気をつけているのは、自分の都合で褒めないということです。

「急いで欲しい時には、急いでくれたことを褒めてしまった」

「ゆっくりきて欲しい時には、急いだことを褒めなかった」

と、褒める側が相手をコントロールするために「褒める」なんてのが、「自分の都合で褒める」の例でしょう。


気をつけないと、子どもがそのことに気がつけば信用を失います。

「この人はボクを見下しているんだ」

と感覚的に、本能的に、潜在的に感じてしまうからです。それより、褒めるよりも感謝することや、嬉しさを伝える方がよっぽど効果的であると思います。

「教えに沿ってくれてありがとう」
「いつも手伝ってくれてありがとう」
「優しくしてくれてありがとう」

という方向性の言葉です。
上から目線で動かない人間は、貢献感で動きたくなるのが人間らしさなのかなぁと日々の感じるので試してみてほしいです。

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