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武者小路詩音のセルパブ大好き#3「大槌町 ここは復興最前線」を読む。

武者小路詩音と申します。わたくしは米田淳一「鉄研でいず!」に登場する非実在女子高校生です。ご無沙汰しております。

今夜はこの写真集のお話です。ちょっと縁があったので拝見することになったのですが、あまりにも素敵なので語りたくなったのです。

インプレッション

写真集なのに「読む」と言うほど、ほんと淡々と、しかしものすごく丁寧に書かれたキャプションの写真で綴られた復興の様子。その淡々とした中に筆者のどういう思いが去来してるのかと思うとすごく深い気持ちになります。

郷土愛、とか故郷への思い、などといった手垢のついた気持ちとは違うように思うのです。こう語りたくなるほど、間違いのない素晴らしい労作です。

うちの著者さん(米田淳一)はの最近の作品でとある災禍を書きました。昔だったらフィクションでも災禍を書くのは辛い人なので多分書けなかったと思う。でも色々と書くうちに、心を鬼にしてそれを勢いで書かないと表現できないドラマがあることに気づいたようです。

そう、辛いことも嬉しいことも、全てそれを相対化し絵の具のように使いこなさないと書けない領域のドラマがあるのです。

この写真集はそれにある意味対極にあるのではと思います。わたくしの類推ですが、きっと同じように私の住む地域がこうなったら、とても感情が逆巻いて冷静には書けないと思います。どこかに感情がはみ出てしまう。だからこそ、ここまで冷静に、淡々と書くのは並大抵ではない。

その淡々とした視点でしか書けないドラマ、それがこの写真集にあるな、と思ったのです。

静寂の復興工事現場

復興の進む街の写真。そこには荒涼とした瓦礫と土砂の上に重機とカラーコーンが並び、施設が作られ人の営み、生活が戻っていこうとする、被災地が再び故郷に蘇生していくドラマがある。でもそこには人の姿はほとんどない。

独特の静寂の工事現場。休む重機はあってもいかにもマスコミが好きそうな働く人々の表情はほとんどない。その沈黙の写真を読むうちに、パッと橋の開通を祝う写真が現れる。

しかし喜んで写真を撮って祝う人々の姿も、華やかだけどどこか東北の冬の荒涼の風景の中で凍えているように思える。喜びはある。ただ、まだそれが当たり前の日常になるにはまだ時間がかかる。しかしそれはマスコミの言うような「復興の遅れ」ではない。では、それはなんなのでしょう?

復興と、復興の先で合流するドラマ

思うとこの復興の写真は、日本の地方が抱えている様々な荒廃と衰退のドラマと合流するところまで描いているのではないか、と思うのです。

復興しても地方は地方、これからどうなると言うと、この少子高齢化とともにとんでもない社会問題の中喘いでいる「地方創生」の生き残りレースのスタートラインに戻れただけなのかもしれないのです。

多くの地方が巨大ショッピングモールに人々が移り、駅前がシャッター街と行政の作って失敗した再開発ビルとなる、判で押したような平成末期の姿になっています。そしていずれショッピングモールも維持できなくなることが予想されています。そこに希望が持てるでしょうか。

復興できてもそこから幸せな郷土を取り戻すのは難しい現在。でもそれはこの平成の終わりに日本の地方全てが今苦しみ喘いでいるのと同じ姿なのでしょう。

この写真集の中で、橋の開通を祝う人々の表情は見えない。でもその胸中の喜びと不安は伝わってくる。それでも彼らは祝っているのです。

あの震災の絶望の淵から不安までたちもどるだけでも幸せなことなのかもしれないのです。

そう思った時、わたくしは遠く離れたところで不安に苛まれている自分をやっと相対化することができたように思うのです。

不安だけど幸せ。その次は不安を自分で解いていく戦いが待っているのだけれど、それは絶望の淵よりはずっとよい。希望がある、とまだ言い切れないほどこの時代の不安の闇は深いけれど。

希望ー生きること

そう感じさせてくれる写真集、最後のページにふっと現れた美しい大槌の風景と最後の写真の眩しく美味しそうな料理にとても心が救われます。

食べることは生きること。その優しい力強さを感じます。

淡々とした筆致でありながらこの構成が雄弁に語っているように思うのです。

淡々としながら、その深いところにアツい気持ちがこもっているのです。

そして予言しているのです。この土地にも、そしてこの写真を見る人々にも、この時代の現実の苛烈さに忘れかけているけれど、きっと明るい未来があることを。

商業の本にはない、独特の魅力

そう思わせてくれたこの本、商業出版では生まれない独特の風味があります。本としての構成やレイアウトは商業に負けないと思うけれど、こういう淡々とした、それでいてアツい本は既存出版に染まってしまった人々には違和感を感じ、結果受け入れないかもしれません。これじゃきっと売れない、そういうのではないかと。

しかし売れることだけが本の価値だというのはあまりにも貧相な価値観ではないでしょうか。売れる売れないを超えた価値を追求するのがセルパブだと思うのです。売れないから書けないことも、書いてしまう。その知的冒険こそセルパブの醍醐味ではないでしょうか。

もちろんそれで生活はできません。売れなければ人は生きていけない。それでも世に問うために赤字でもいいと睡眠と資材を削って本を書く。その情熱は、実は出版本来の姿なのかもしれないのです。

出版と芸術の真髄

「売れない本は存在しないのと同じ」などという時代はきっともうすぐ終わるのです。その中には「書いても書いても読まれない」という悲しさを抱きながら埋もれていく本の叫びもあるでしょう。しかしそれでも、いま生きていること、今感じていること、そしてこれから生きていく覚悟を記す。それこそ芸術の本旨だと思うのです。

作らずにはいられない気持ちこそ、芸術の真髄なのです。

逆に言えば、売れない程度でやめてしまうなら、それはまだ芸術の域ではない、と思うのです。

もちろん売れればさらによいけれど、そうでなくても価値は少しも変わらないのです。

だから本というものは素晴らしいのだ……とわたくしは思い、これからもきっと本を読み続けるのです。

こうやって語りたい本をこれからも少しずつ語っていきます。

よろしくですわ。

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