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祖父と木刀と柴犬

祖父は身を屈めてカンナをかけている。私は昔から手元が不器用なたちだったので、すべてを祖父に任せて後ろから覗き込むようにその手元を見ていた。細身の刀身ながら日本刀のように美しい曲線を描いている。祖父は手に優しいように荒い紙やすりから順に細かい紙やすりをかけていく。刀匠が刀を見定めるように持ち上げて確認し、満足そうに笑って私に磨き上げた木刀を渡してくれる。持ち手を握るとスムースな手触りで逆の手で刀身に沿って触れるとするすると指が滑っていく感覚がある。私は祖父が作った木刀が好きで、祖父が何か作っているのを見るのが好きだった。


田舎の山の中にあった祖父の家には作業小屋があって、遊びに行くと必ず何か新しいおもちゃを木で作ってもらった。祖父は林業に従事しながら、木で何かを作ったり石で何かを作ったりする大工でもあった。今になって気づいてみれば、祖父は一番身近なものづくりを生業にしている人間で、密かに憧れていたのかもしれない。その時から私は物を作るのは本当に苦手だなと自認していたことは強く覚えていて、三つ子の魂なんとやらであるなぁと思う。


祖父の家には柴犬がいて、人間の残飯をひとつ残らず食っていたように思うので、めちゃめちゃ身体がデカくて違う犬種だったように思い出されるのは、自分が小さかった頃の記憶だからなのかは定かではない。


幼稚園の時分だったので3歳ぐらいのころだろうか。柴犬は外で放し飼いにされていたけれど、人間のエリアに入らないよう一応大きな柵の内側にいた。私は幼少期からあまり犬などに触れてこなかったので、犬を触ることに大変興味があって、もしかすると右手には祖父の木刀を持って、柵に近づいていった。しっぽを振った柴犬が待っていたので、何の気なしに手を柵の内側に入れると手首の手前がすっぽり口に収まるぐらい大胆に手を噛まれた。私は犬の中の家族序列の最下位だったのだろうと今になると思う。


私は小さなころ泣き虫だったし、また、泣き虫であろうがなかろうが3歳ぐらいの子が犬に強烈に手を噛まれたら泣いて当然だとも思う。祖父は林業従事者で大工だったので70歳ぐらいまでは家族で一番腕相撲が強く、気も強かったが、その祖父が可愛い孫の泣き声を聞いて駆けてきた。


犬は首根っこをつかまれて柵の奥の方に引っ張っていかれ、振りかぶったビンタを何度も頭にあびていた。犬が怖くて、祖父も怖かった。あの頃の祖父は本当に元気で優しくてなんでも作ってくれた。今なら祖父に教えてもらいながら木で何かを作ってみたいと思う。苦手なことでもやってみることで楽しみが多少なり見出せるぐらいには大人にはなった。今でも手を動かして何かを作ることは絶望だと思ってはいる。


(了)

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