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蟹を食べて思い出した映画「ヴィンセントが教えてくれたこと」


露天の温泉がある京都北部の旅館で蟹を食べている。温泉に入ることと蟹を食べることが目的の旅だから、蟹を食べることはこの旅の半分を占めていると言って大袈裟ではない。温泉と蟹なら、3対7ぐらいの割合で蟹の方が好きなことを考慮すれば、旅の7割を今まさに食べていることになる。それなのにS君ははじめに出てきた茹で蟹を一杯食べてから、新たな蟹がでてくる度に溜め息をついている。旅の70%を食べているのに溜め息は困る。何をそんなに溜め息をついているのか尋ねると、「段々面倒になって」という。蟹を食べているのにそんな馬鹿な話があるかと腹が立って、もっと他に面倒なことがあるだろうとねちねち叱責した。なにより蟹はうまい。蟹の殻の隙間に蟹フォークを刺すのが面倒だとしても、その味を口に放り込めるなら永遠に蟹の身をほじくることは厭わない。刑務所に入ってずっと蟹のみをほじっていろと言われるのなら喜んで受刑しよう。でも悪いことはしていないし、する予定もないので牢屋の中でもくもくと蟹を食べるのは叶わないだろう。

大体、面倒なことは他に無数にある。人間関係なんかはその最たるものだろう。思い出すに、昔小学生の時分に、目に入った子供すべてを叱るおじさんがいた。いつだって道に面した窓から外を眺めていて、柵に登って叱られ、ボール蹴りをして叱られ、友達と笑って話していたら叱られた。鉄棒で逆上がりをしていて叱られた時には閉口したが、今になるとどうしたらあんなふうなおじさんに仕上がるのか不思議で仕方がない。今なら、映画「ヴィンセントが教えてくれたこと」を思い出して、過去の記憶の中にいるあの怒っていたおじさんも何か事情があったのかと思わないことはないし、中学に入っていつからか見なくなったおじさんを思うと、孤独に亡くなっていったのではないかと想像して少し悲しくなったりする。ただ、そのおじさんがビル・マーレイであったならきっと話は変わっていたに違いない。ビル・マーレイが近所に住んでいたならきっと毎日彼の家に遊びにいっただろう。


(セオドア・メルフィ監督、2015年公開、アメリカ映画)

ビル・マーレイ扮する破天荒なダメオヤジが、12歳の少年との交流を通して生きる力を取り戻していく姿を描いたハートフルコメディ。アルコールとギャンブルを愛する、嫌われ者の偏屈親父ヴィンセントは、隣に引っ越してきたシングルマザーのマギーから、彼女の仕事中に12歳の息子オリバーの面倒を見るよう頼まれてしまう。(映画.comより)


どんな人間にも事情があって、何かの出来事を経て面倒な人になるのは理解できるが、そんな人たちと進んで関わるのは骨が折れるからやっぱり人と関わるのは積極的には遠慮したいと思う。それに比べて蟹の身をほじくるのは手元は面倒だとしても、その後に美味しい思いをするのは自分であるから、そう言ってS君に蟹を食べることは光栄だろうと説得するけれど、彼はまた別の調理法で蟹が供されるたびに小さな溜め息をつくばかりである。


(了)



事情のある面倒なおじさんが、本当はいい奴なのかも、となる映画には「グラントリノ」もあるな。かっこいいのはイーストウッド、愛しちゃうのはビル・マーレイか。

(クリント・イーストウッド監督、2009年公開、アメリカ映画)

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