週刊『教育資料』のインタビューを再録します。
先月、週刊『教育資料』3月25日号の「自著を語る」に、インタビューが掲載されました。次の号もすでに出ていますので、刊行元の許可を得て、以下に全文を掲載します(多重引用になってしまうので、アゴラには転載しないでください)。
また、東洋経済新報社の教育支援サイトにも、同じ著書をめぐる別の切り口からのインタビューが掲載されています(4月11日付)。このテーマについては、note でもマガジン「ボードゲーム」にまとめてちょこちょこ書いていくつもりです。そのうち、作品レビューとかも始めてみたいですね。
多様な人がつながる「ゲームの民主主義」の可能性を感じてほしい
ボードゲームはなぜ面白いのか
2015年から鬱で3年間ほど休職していて、その際に一番回復に役立ったと思っているのがボードゲームです。2018年に出した『知性は死なない』でもボードゲームに触れているのですが、ボードゲームだけを取り出して本にしても面白いのではないか、と。カタログ的な本はたくさん出ていますが、そもそも「なぜ面白いのか?」を掘り下げる本はあまりないので、類例のないものが作れると思いました。
ただ、僕のボードゲーム歴は、企画当初では4年ほどだったので、ボードゲームに詳しい人のお知恵を借りながら作りたいと考え、ボードゲームジャーナリストとしてニュースサイトを運営する小野卓也さんに共著をお願いしました。
それに加えて、類書にはない魅力をつくるために、さまざまな分野の専門家に自身の専門と重なるゲームをプレイしてもらい、体験記を寄稿してもらいました。コロナ禍を挟んで制作を進め、昨年の秋に発売されたのが本書です。
デジタルのゲームとの違い
鬱などの病気が重いと、デイケアの場で集まっても沈黙が続いたりします。逆に病気の症状によっては会話には支障がない人もいて、一人だけずっとしゃべっていたりすると、場の雰囲気が悪くなることがあるんです。そのときにうまくデザインされたゲームを一緒にプレイすると、最後までけんかになったり退屈したりせずに、全員が楽しめるんです。
例えば、コロナ禍で一斉にリモート授業になったときに、あるお母さんが「みんないいと言っているけれど、リモート授業は良くないと思う」と言ったんです。画面の中から先生が、「はい、じゃあ国語の教科書を開いてください」と言ったとして、開けるのはもともと勉強ができる子だと。特に小学生のうちは、できる友達が教科書を開くから、それをまねして開いていくうちに授業についていけると言うんですね。その発言が非常に印象に残ったのですが、ボードゲームはそれに近いところがあります。
よく分かっていないプレーヤーが混じっていても、見よう見まねでやってみたり、周囲がフォローしたりすることでなんとなく分かってくる。そこがデジタルのゲームとの大きな違いです。本書の中で小野さんとも議論しましたが、デジタルのゲームでは、プログラマーやハッカーでない限り、ルールを破れない。それに対してボードゲームは、集まっているメンバーを見て、「ここはもう少し変えてみよう」みたいな修正が利く。そこが大きな魅力だと思います。
バラバラのメンバーが最後まで楽しさを共有できる
今の小中学生であれば、放課後や昼休みで遊ぶ楽しみの一つに、すでにボードゲームが入っていると思います。先生たちも「このゲームをやればこの能力が伸ばせる」という考え方ではなく、自然と発生してきた遊びを学びにつなげていくという回路を考える方がいいですよね。
先生はファシリテーターになるのがよいと思います。子ども同士で放っておくとゲームに詳しい子ばかりが進行役になるので、他の子に進行役を振ってみるとか。「自信がなかったら先生がサポートするから」という関わり方です。ゲームに参加するメンバーも、能力はバラバラ、たまたま居合わせた人でいい。そんな「ゲームの民主主義」の可能性を感じてほしいですね。
●聞き書き 吉田直
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