見出し画像

「恋愛」という枷

 恋愛ってどうしてするんですか?と誰かに問いたくなる時がある。恋愛があるのが当たり前で、恋愛をするのが当たり前のような世の中だと思う。別に否定をする訳では無い。恋愛があるから人は美しく見えるのだろうし、恋愛があったから私が生まれて、今こうして生きている。恋愛によって救われている人をこれまでに見てきた。それが当たり前だと、それが普通なんだと思う。

 きっと異端なのは私だけであって。

 私は無性愛者を自認している。それが悪い事だとは思っていない。仕事が好きだし、恋愛をしなくてもいいと考えている。だけど、それを言うと周りは「恋愛しなきゃもったいないよ」「恋愛はいいよ、するべきだよ」と伝えてくれる。有り難い言葉だと思う。だけど、それが私にとっては、生きている事さえ否定されているくらいに辛い。考え過ぎだとは思っている。でも、恋愛というのは「しなければならない」ものなのだろうか。

 1度、男性と交際をした事がある。優しい人だった。聖人かと思うほどに優しかった。交際期間はたったの1ヶ月半。その中で気付いたのは、私は恋愛対象で他人を見る事が難しい事だった。終電後に行くバーで言われた事がある。「なんで彼の家に行かないの?」と。正直言えば興味が無かった。別に会わなくてもいいし、会った所で何をするんだと。一般的に考えれば、朝まで彼の家にいて、同じ時間を過ごして、時には健全な時間を過ごすのだろう。私は違った。何もしたいと思わなかった。そんな想いを抱えたまま交際を続けるのは相手にも悪いと思ったし、早急に別れた。という話をすると、周りは変な顔をする。私がおかしいのだと、気付くのにそう時間は掛からなかった。

 恋愛をモチーフにした小説も詩集も、漫画も歌も、例えば道端を歩いているカップルだって平気。私自身でなければ。全て他人の物語だから見られるのであって、私の事になると話は違う。嫌悪感さえ覚える。そう感じた時、調べた。検索履歴が馬鹿みたいな羅列になった。そうして知った。私は「無性愛者」なのだと。分かって嬉しかった。それから悲しかった。親に申し訳ないと、そう思った。

 自認してから、私は恋愛をするのが難しいと話すようになった。だけどそこからが辛かった。周りに言われる「どうして恋愛出来ないの?」という言葉。逆に言わせて欲しい。「どうして恋愛をするの?」そりゃあ、出来たら苦労しない。だけど、どうしたって恋愛をしたいと思わない。その時間があるなら、自分の好きな事に費やしたい。そして生涯を終えたい。それがどうしても理解してもらえないのが苦しい。「そういう人に出会ってないだけだよ!まだこれからあるって!」という言葉も苦しい。確かに経験があるからこそ言える言葉だ。ならば、私みたいな人もいるんだって知って欲しい。みんな違ってみんないいなら、恋愛をする人としない人がいたっていいじゃないか。

 教えて欲しい。なぜ恋愛をしないだけで変わり者扱いされなければならないのか。そういう人生を選んだ私は、おかしいのか。無理にでも誰かと付き合う事なんて出来ない。相手に申し訳ないし、私が私でなくなる気がする。それをも我慢して、付き合ったらいいのか。それが正しいのか。誰か教えて欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?