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グラフ理論と腎臓移植

今、イアン・スチュアートという数学者の『What's The Use? --The Unreasonable Effectiveness of Mathematics』(2021)というポピュラーサイエンス本を読んでいます。この方は『世界を変えた17の方程式』や『数学の秘密の本棚』といった著作がベストセラーになっているようなので、これもそのうち邦訳が出るのかもしれません。
本書は、「えっ、こんなところに数学が!?」と一見、あまり関係なさそうなところで実は数学が非常に重要な役割を果たしているんですよ、という様々な例を紹介する内容です。

まだ第4章までしか読めていないのですが、この第4章が面白かったのでちょっとご紹介。
タイトルは『ケーニヒスベルクの腎臓』。
数学パズルや頭の体操系の本が好きな方にはピンとくるかもしれません。
そう、有名な数学パズル『ケーニヒスベルクの7つの橋』が元になっています。

昔々、今のロシアのカリーニングラードがプロイセンのケーニヒスベルクであった頃のお話です。
この街にはプレーゲル川という二つの中州を持つ川が流れています。当時、1つ目の中州と両岸の間には2つの橋が架かり、2つ目の中州と両岸の間にはそれぞれ1つずつ、そして中州同士の間にも1つ、という具合に合計7つの橋が4つの地域を結んでいました。

by Bogdan Giuşcă


さて、ケーニヒスベルクの街には長年伝わるこんなクイズ問題がありました。

「どの橋も一度しか渡らずに街全体を散歩することは可能か?」

というものです。
この一見他愛のないクイズにがっつり取り組んだのが、当代きっての数学者、レオンハルト・オイラーでした。ちなみにオイラーは英語表記が「Euler」です。私はまさかオイラーと読むとは思わず、「ユーラー」と読んでいました。誰だそれ。

さて、オイラーはこのクイズを解くために川で区切られた4つの陸地をA、B、C、D、そして7つの橋をa、b、c、d、e、f、gで表すことにしました。
そうすると想定される散歩コースは、例えばBfDgCcAaBbAeDといった形で表されます。ここから、いろいろな条件を見つけ出し、オイラーはケーニヒスベルクのクイズの答えが「不可能」であることを証明しました。1735年のことです。
オイラーが用いた単純化の手法はその後19世紀に生まれる「グラフ理論」の先駆けとなりました。(と、なぜか「トポロジー」の先駆けでもあるそうです。)

下はケーニヒスベルクの状況をグラフにしたものです。陸地は点、橋は線で表されます。点は「ノード」、線は「エッジ」と呼ばれます。
ケーニヒスベルクのクイズは、「このグラフは一筆書きできるかどうか?」と言い換えることができます。

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さて、この年季の入った数学クイズと腎臓がどう関係あるのかというと、実はこのグラフ理論が現代の腎臓移植のマッチングに大活躍しているということなんです。

イギリスでは2004年の法改正で血縁関係がない人の間での生体腎移植が可能になりました。そのおかげで、家族ドナーと患者が不適合の場合であっても、同様の状況にある他のドナー・患者ペアと組み合わせ、いわば臓器交換をするということができるようになりました。

例えば本の例そのままですが、以下のような不適合のドナー希望者と移植希望者の家族ペアが二組あるとします。

家族1:アルバート(ドナー)&アメリア(患者) 
家族2:ベリル(ドナー)&バーナード(患者)

アルバートの腎臓をバーナードに、ベリルの腎臓をアメリアに移植するという可能性が生まれます。家族以外には提供したくないというドナー希望者でも、自分が他人へ腎臓提供するのと引き換えに家族が提供を受けられるのであれば提供したいと考える方が大半なのだそうです。こういうマッチングができれば、二件の腎臓移植の機会が失われずに済みます。
腎臓移植のマッチングの現場では場合によっては3組のペアで一つのサイクルを形成し、ドナーを交換し合うこともあるそうです。
不適合の患者とドナーのペア、提供先を問わない善意のドナーをそれぞれノード(点)とし、交換可能なペア同士をエッジ(線)で結ぶグラフ理論に基づいたシステムは、膨大な数の組み合わせの中から効率よく最適なサイクルを見つけ出すのに大きな力となっているということです。

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さて、日本ではどんな状況なんだろうと思って調べてみると、生体腎移植は血族間でないと駄目のようですね。ということはグラフ理論は特に活躍していないのかもしれません。

ちなみに、亡くなった方からの臓器提供に関しては、イギリスではウェールズが2015年、イングランドが2020年、スコットランドが2021年にオプトアウト方式に移行済。北アイルランドは2023年からオプトアウト方式が始まることになっています。オプトアウト方式は別名「見なし同意方式」とも呼ばれ、提供拒否の意思表示がなされていない場合は提供に同意したものと見なすものです。(日本は提供希望者が意思表示をしなければならない「オプトイン」方式ですね。)
この法律が施行される前は「自分の臓器が国に資源扱いされているみたいで嫌だなぁ」と、拒否する気満々だったのですが、いざ施行されるとわざわざ拒否登録するのも面倒だし、どうでもよくなってしまいました。燃やされて灰になるくらいなら誰かの役に立つ方がいいですしね。私のようないい加減な人を取り込むにはとてもいい方式だと思います。なお、他国の事情は知りませんが、イギリスではオプトアウトは18歳未満の子供には適用されません。

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こちらは、臓器移植が出てくる自作童話です。

*トップ画像はウィキペディアよりお借りしたケーニヒスベルク大聖堂。哲学者カントのお墓があります。手前右側の橋は、オイラーの時代から残っている2つの橋のうちの1つだそうです。


ありがたくいただきます。