ピアニスト (掌編小説)
ぼんやりツイッターの画面をスクロールダウンしているときだった。その記事に遭遇したのは。
(マッコイ・タイナー、亡くなったのか)
ジャズピアノの巨匠だ。八十一歳。亡くなったのは三月だが新型コロナが原因だろうか。不明、とあるから違うのかもしれない。このところ、有名人が亡くなると、つい死因を確認してしまう癖がついてしまった。
吸い寄せられるように指が記事内の動画をタップする。
流れ出す懐かしいピアノのイントロ、ソプラノ・サックスが表題曲のメロディーを奏でだす。
「『マイ・フェイバリット・シングス(My Favorite Things)』は、ほんと良いアルバムだよね」
そう言って、何度もこのCDをかけていた彼のことを思い出した。
大学時代、私はジャズサークルに所属していた。ロックとポップスしか聴いたことがなかったのに、なぜジャズサークルに入ったのかと言えば、やはり大人っぽいものへの憧れだったのだと思う。
同じピアノ担当の二つ上の先輩とつきあうようになったのは、最初の夏休みに入る前だ。モダンジャズの巨人、サックス奏者のジョン・コルトレーンが初めて自身のバンドを率いて録音したアルバム、「マイ・フェイバリット・シングス」。「黄金のカルテット」と呼ばれたこのバンドのピアニストがマッコイ・タイナーで、彼の一番好きなピアニストだった。学生向けの安アパートの床に座って、体でリズムをとりながらタイナーのピアノソロを、まるで研究者のような真剣な表情で聞く彼の横顔がありありと思い出される。
三十代も後半に差し掛かった今、二十歳やそこらの学生なんて高校生に毛が生えた程度にしか思えないが、当時はとても大人っぽく見えた。夜はサークル行きつけのジャズクラブでピアノを弾き、昼は講義をさぼって家で寝たり、ピアノを弾いたり。結局、単位をいくつか落として留年していた。でもそういう彼の自堕落さも、どこか芸術家然とした外見と相まって退廃的な魅力として映っていた。
彼が卒業する前に、二人でイギリスを旅行したことがあった。確か、ウェールズのどこかの町のジャズクラブ。ちょうどその晩、客が自由に参加できるジャムセッションが行われていて、店内は楽器を携えた地元のアマチュアミュージシャンたちで賑わっていた。
ひどいあがり症の私はもちろん参加しなかったが、彼は何のためらいもなくステージに上がった。そして、スタンダードを数曲、ハウスバンドとセッションした。もちろん、「マイ・フェイバリット・シングス」も。喝采を浴び、ギネスを親切な誰かに奢ってもらった彼は、終始ご機嫌にしていた。
のんびりと他のミュージシャンの演奏に耳を傾けながら、パイントグラスを傾けていたときだった。普通の煙草の煙に交じって、どこからか、甘ったるい、草を燃やすような癖のある匂いが漂ってきた。
「誰かマリファナを吸ってる奴がいるな」
テーブルの向かいに座っていた、人懐こい顔をした学生風の青年がニヤリと笑って言った。
イギリスは、まだあの頃は屋内全面禁煙ではなかったが、マリファナは今と同じく違法薬物だった。結局、程なくしてその不届き者はマネージャーにクラブからつまみ出された。
そのとき、向かいの青年が茶目っ気たっぷりに言った言葉。
「あの匂い、往年のジャズクラブって感じで良かったのになあ!」
私たちは彼の冗談に笑った。確かにいかがわしい空気はジャズにお似合いだ。
わずかに漂っていたマリファナの残り香がほかの煙草の煙と混じってしだいに消えていく。ビールでほろ酔いになった耳には、バンドの演奏と周囲の客の会話がまるでカーテンで隔てられた向こう側の出来事のようにくぐもって遠く聞こえる。
(タイムカプセルみたい、音楽って)
あるいは鍵--忘れていた記憶の扉をいとも簡単に開ける。
十五年近く前のあの夜の暗い店内のさざめきや充満する煙草の煙の匂いが、イヤホンから流れる音楽に乗って驚くほどリアルに蘇る。
彼は卒業後、地元の新潟に戻り就職した。それと同時に私たちの関係も終わった。あっさりした別れの後、彼のことを思い出すことがなかったわけではないけれど、そこに恋しさや憎しみというような強い感情が伴うことはなかった。恋愛の真似事をしていただけなのだ。まるで人生におけるチェックリストの項目、あるいは通過儀礼の一つであるみたいに。
ーーずっとそう思っていたけれど......
気付けばもう動画は最後に近づいていて、カルテットは最後の曲「バット・ノット・フォー・ミー(But Not For Me)」を演奏している。
私は胸の内に甘酸っぱい感情が湧き上がってくるのを感じていた。
大人っぽく振舞おうと背伸びしていた私たちだったけれど、二人の関係はそれとは裏腹に幼く純粋だった。
大学生というモラトリアムの期間だったから育めた、友情と愛情の間を緩やかに行ったり来たりするような穏やかで曖昧な。
楽しい時間だった。いつもジャズが聞こえていた。
思い出は薔薇色に見えるもの、なんてことは分かっている。戻りたいわけではない。ただ、(あの時にあの恋愛で良かった)、そんな不思議な充足感が胸を満たしていた。
目立たない河原の小石のようだった思い出は、いつの間にかきらきら光るガラス玉に替わっていた。私はそれをそっと心の宝石箱に仕舞う。
ときどきは取り出して眺めよう。もちろん、そのときは「マイ・フェイバリット・シングス」を流して。
<終わり>
マッコイ・タイナー、どうぞ安らかに。
ありがたくいただきます。