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【550】avoid、evite、もう一歩

昔英語の授業でプレゼンをしていたとき、avoidなる語がとっさに出てこず、éviter(仏語でほぼavoidと同義)と言おうとして思いとどまり、éviterから英語を作るならevite/ivait/だろうと思って自信たっぷりに発音したところ、これが(やや古めかしい表現であるとはいえ)実際に正しく存在する単語だった、という経験があります。

尤も、その場にいたネイティヴの先生しかeviteという語を知らず、しかもその先生もあとで「キミ/ivait/って言ったけど、そんな単語を現代人は使わないからavoidで覚えてね」と仰ったくらいなので、avoidくらい忘れるなよ、というのが教訓ではありますが、

そのときはあまり気にしませんでしたが、久々にeviteという語を見かけたので、ちょっと調べてみようという気になりました。何を調べるって、avoidとéviter(evate)の間に語学的関係があるのか、ということです。

a-もé-も接頭辞で、vから始まる要素が続いているので、なんとな〜くもともと似た起源を持っているのではなかろうか、という推測がありました。

avoidはa+voidで、voidは無論「(契約などが)無効である」「真空の」という意味の形容詞として記憶されているものです。null and voidなどのかたちでしばしば用いられます。voidはvacuum「真空」とも関係の或る語ですし、vacuumはそもそもラテン語の形容詞です。これはvacare「空である」なる動詞から来ています。

éviterはé- (ex-, ef-, es-)という、離脱することや出発点を意味する接頭辞と、ラテン語vitareから生成されています。vitareはそれこそ「避ける・回避する」意でした。

こうなると「関係ない単語で、たまたま音が似ているだけでした〜」ということになります。

が、音が似ているということはバカにできたものではなく、ラテン語以前の段階では共通の起源を有している、という可能性ももちろんあります。たとえば上に見たvacareは、vanus「空虚である」という語や、vastus「無人である(打ち捨てられている)」という語と起源を共有している、という(それはそれで一定の説得力があるとされる)説があります。


…で、まあ、Etymological Dictionary of Latin and the Other Italic Languagesなど引いていたら、vacareとvitareは結局関係なさそうだということにはなったのですが、思わぬ収穫もありました。

とりわけvitare (vito)「避ける」という動詞については、vi-が概ね英語のapartに該当する要素であるという説があるらしいということであったり、

その説に対しては音韻学の観点から異論が投げかけられているということであったり、

あるいはapartに該当するvi-は特にvitium「悪徳」という語に顕著にみられるということであったり。


何にせよ、当初の目的が達成されたところで、もう一歩ダメ押しで頑張ってみた成果です。

私の場合、本を読んだり辞書を読んだりすることはもはや「頑張り」ですらないクセのようなものですが、きっと何かを学ぶにしても、仕事として成果を出すにしても、「もう一歩」頑張る、仕上げをして目標を上回ることが大切になる場面は多いのではないでしょうか。

筋トレも、限界を迎えた後のもう1セットが重要だと言われるようです。

これが医学的にどうかということはともかく、「もう一歩」を常に意識しながら、やってみたいものです。