ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 第五回/だいたい三十回ぐらい書きます

1991年  中学三年生 15歳

☆5月 ジュリアナ東京オープン
☆6月 オリジナル・ラブ「deep French kiss」
☆7月 フリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」ナンシー関「顔面手帖」
☆10月 「i-D JAPAN」創刊、スチャダラパー「タワーリングナンセンス」、ポンキッキーズ放映開始
☆11月 電気グルーヴ「UFO」、篠山紀信、宮沢りえ「Santa fe」

 この頃の宝島、ガロ、CUTiE,そしてi-D JAPANは読んでいてすごく興奮した。芝浦GOLDに集うひとたちのボンテージファッションとSMクラブ情報が交差し、マドモアゼル朱鷺さんやら李香蘭女王さま、ヴォーギングダンスのユニット(名前忘れた。彼らの告知ポスターに幽霊が写りこんでいると噂になった。私には見えなかった。姉は見えると言っていた)、みうらじゅん・安西肇、えのきどいちろうの女装ユニット「ヴァギナーズ」などが渾然としていた。バンドブームのロックの次はクラブブーム、ハウスミュージックの時代だと喧伝されていた。またまた変な人たちが新しくあらわれた。アメリカのテクノユニットDEE-LITEが紹介されており、Jungle DJ TOWA TOWAというリーダーが日本出身の鄭東和なる人物と読んで興味を持ち、CDを買った。当時は珍しい紙ジャケット。レディ・ミス・キアーの声がとても良かった。ネロリーズも表紙になったりしていた。
 石原壮一郎「大人養成講座」というページは、社会人として適応したサラリーマンの不文律を斜めから観察・戯画化して描く文章で、当時ビクターに勤務していた叔父に読ませたらたいそう気に入っていたようだった。挿絵はひさうちみちお先生。
 アーティストのインタビューはキレがあり、なかでもフリッパーズとスチャダラパーと電気の記事は必読。その他の雑誌にも出ていたら探し出して立ち読み。月刊カドカワでの小沢健二、小山田圭吾の半生を振り返るインタビューがとても面白かった。また、i-D JAPANで彼らのお奨めとしてして広瀬隆著『赤い楯』が推されており、図書館で探したら、分厚いハードカバーの上下巻。中身はロスチャイルド家による世界の支配の陰謀論。中学生の頭には経済用語も企業名もインプットがないので、この高価な書籍を雑誌の言いなりになって買っちゃう奴をひっかける彼らのいつもの悪い冗談なのではないかと思ったりしたのだが、よくわからないなりにけっこうおもしろかった。スチャダラは取材攻勢に辟易したようで「そんなにミュージシャンの口割りたいか作品とライヴじゃ物足りないか」と歌っている。
 特に電気グルーヴは、登場時に宝島が猛プッシュしていたので、TMNのrhythm red beat blackから注目していた。8インチシングルをレンタルして聴いてみると、なんだこりゃ!まず「ラップ」というものを知らなかった。ラップ、ライムなどについて、電気の記事に付いている井上三太のとぼけたイラストで学んだりした。宿主のTMNを軽くかっとばすパンクな姿勢、絶対にいい人ではない歌詞、石野卓球さんのクリアな滑舌とピエール瀧さんの声、リズム感、ビート感にしびれた。これが「groove」か!メジャーデビューアルバム「FLASH PAPA」を夢中になって聴いた。「電気ビリビリ」はもう文字通り鳥肌が立つほど痺れた。イントロだけでぞくぞくする!最高にカッコいいものと出会った。今まで無かった新しい音楽。
 同じ静岡市出身というところも嬉しかった。ローカル番組「ジャンジャンサタデー」に電気が出演し、カネボウ通りにあった「石野商店」では卓球さんのおばあさま(紫の髪の毛)が駄菓子屋さんを営んでいると知った。番組では、コッペパンに小倉あんとマーガリンを挟んだ石野商店のパンを当時のメンバーCMJKが食べて、おいしいわけじゃないみたいなことを言っていた。母に「この人たち、高松中と籠上中出身だって」と写真を見せると、「駅南の顔ね」と言われた。
 さっそくカネボウ通りの「石野商店」へ友達を誘って自転車で出掛けた。店番のおばあちゃん、紫の髪の毛!本物だ!トレイに入ってラップのかかっているお好み焼きを買い、店内でいただいた。電話帳では「石野パン店」となっていたが、菓子パンも売る駄菓子屋さん。玩具菓子以外も、個包装のお菓子を10円、20円でばら売りしている。おばあさまにいろいろお話を聞きたい気持ちもあるものの、なんだか恥ずかしいような悪いような気がして話しかけられず、でも卓球さんの実家の実在が自分の家から行ける地続きであることがそれだけでとても嬉しかった。
 ちょうど大槻ケンヂのオールナイトニッポンが終了に近づき、「こんどは、インディーズ時代に同じナゴムレコードで“人生”っていうバンドをやっていたメンバーが電気グルーヴとしてデビューして、土曜日二部からラジオやるからみんな聴いてね」といい感じでバトンが渡り、そして私の人生もなんだか変えられたというか、むしろ決定づけられたというか。道を踏み外したのか、それとも道を見つけたのか。ともかくこのあたりが出発点となるのだった。行き先はわからない。

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