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香りよしなし

 セロリとかみょうがを大人になって「おいしい」と感じられるようになったのと似て、10代の頃に「むり」と判断してその後トライしなかった香りも、今であれば逆に好みになっているのだろうか。ふと、そろそろ使い切る香水のボトルを眺めていて思った。たとえばとりわけゲランのそれだ。サムサラ、ミツコ、シャリマー。

 香水に興味を持ち始めると、当時はネットなどなかったので活字を求めて情報収集するわけだが、自分が10代の頃に旋風を起こしていたのはカルバン・クラインの「エスケープ」とかイッセイの「ロードゥイッセイ」などのとても爽やかな香りであった。小説に出てくるのはジャン・パトゥの「ミル」とかランコムの「トレゾア」なんかで、当然ながら自分はその系統から始めた。考えてみると、小説や映画でインスパイアされて試してみるのって10代のころから変わらんのだな。

 問題はお高くて本物など手に入るわけもなかったし、自分の住む街に百貨店ができたのは10代の終わりで、それまでどうしていたかというとなんか怪しい海外通販のできる雑誌かなんかでサンプル品などを取り寄せていた記憶。すぐに限界がくるので、めくるめく香りの旅は満足ゆくようには運ばなかった。それに、どうやら自分は世界の名香と言われる香りを良いと思えないらしい、と認めざるを得なかった。これはかなしいことだった。なんだか、将来夢見たようなレディにはなれない、と10代にして決定してしまったような気がしたのだ。かといって学校でみんながつけているようなマリンノートやアクアノートに歩み寄れる素直さも持ち合わせていなかったのだけど。

 化粧品店で資生堂の「沙棗(さそう)」に出逢ったときは、手に入る日常のなかでもっとも背伸びした香りに興奮した。具体的な香りを思い出すことができないのだけど、当たり前にわかるのは10代の小娘が、とりわけ香水遍歴を始めたばかりの子どもに似合う代物ではないということ。それでも、「沙棗」の世界観に強く魅かれ頑張って試したけれど、香りって自分のものにできていないとき、極めて不愉快というか心をざわざわとさせてしまうのですぐに諦めた。
 そういう意味でいえば冒頭に挙げたゲランの名香も、シャネルの5番も、ディオールのプワゾンも、10代で「私なんかが関心を示してごめんなさい!」と回れ右をして以来遠ざかっている。

 しかしながら、自分は部屋に白檀の香りを漂わせていないと落ち着かないほどにマニアになっている現在、白檀とはサンダルウッドのこと、サムサラもシャネルのNo.5も今であれば合うのではないか、と思い始めた。よく考えれば非常にもったいない話で、10代の子に似合うようつくられていないそれらを、10代で自分には合わないと決めつけて二度とトライしないなんて。今度百貨店にいって香りのツアーをしてこようと思う。
 まずは再会の瞬間を胸高鳴らせて待っているところ。

 問題は、私は香りを複数使うのがあまり好きではない。実際には2種類ほどはしてしまうのだが、理由は「あ、あの人の香りだ」と言われるまでにシグネチャーにしてしまいたいのだ。香りによって覚えられたいし、思い出してほしい。そういう意味で昨年出逢って以来愛用している香りの印象が薄れてしまうのは困る。など詮無いことを朝から考えていた。

 《余禄》今気になっている香り
★ピエール・バルマンの「イヴォワール」、ゲラン「サムサラ」「夜間飛行」「ミツコ」「シャリマー」、キャロン「ナルシスノワール」、シャネル「No.5」。フレデリック・マルも1度は試しておきたいけれど…

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