見出し画像

それはたぶん、エレガンスの問題

自分の発信を必要以上に拡散したくないという思いがあり、基本的にSNSは偽名か仮名だし、なるべくフォローしない。Facebookだけは仕事で求められることが多いので言われればやむなく友だちになるが(でも偽名)、そういうわけで知っている人と別にweb上でつながる必要性を感じない。Instagramは、これもまた仕事上やっておかなかいと話しにならないという理由でアカウントをもったが、誰一人知り合いとつながらず、フォローしているのはメディア企業やブランドだったり、一般個人は数人だったりする。

そんなInstagram、フォローされている人数は20人程度であるが、ときどき不思議なことが起きる。たとえば、先だっては三菱地所のアカウントからリポストを依頼がきて、ハッシュタグの威力を痛感。よーみつけるな、こんな弱小アカウント!というのもハッシュタグで簡単に見つけられる。

一番のよかった驚きは、大好きでよく足を運ぶ中華料理店のアカウントは相互フォロー状態なのだが、ある日「一度来店したら教えてほしい。厨房の担当があいさつしたいと言っている」と連絡が来て、なんだか申し訳ないな~と思いつつ来店時に伝えて、リアルでも仲良しになってしまった。比較的高級店なので、Instagramでつながらない限りこんなことにはなっていなかったと思う。

また、10代の終わりに耽溺した作家の森瑤子さんの実の娘さんから「いいね」をもらったときは驚いた。前回の緊急事態宣言時に古本屋さんで遭遇した懐かしの文庫を投稿していたのを見つけてくれたのだ。奥ゆかしいことに、森さんのお嬢さんと名乗られることはなかったが、ほとんどマニアの私にはすぐにわかった。こういうとき、SNSは不思議だと思う。

森さんと言えば帽子、というくらいエレガントな帽子スタイルが定番で、うちの亡き叔母もかつて昔の教育テレビで帽子講座をしていたような人だったので逢う度びに「あなた、頭のうえにひとつ載せなさいよ」と言われたものだった。でも、なかなか日常で帽子って難しい~!というのがこれまで抱いていた感想で、もちろん叔母がプレゼントしてくれるものだから会うときくらいはお義理でちょこんと載せてはいたが、しっくりこなかったのだ。

それが、このところにわかに帽子ブーム!で、本人だけの問題であろうがこれがまた不思議としっくりなじむようになった。もちろん森さんのごとく、大胆なデザインのものでは当然なく、キャメル色のベレーだったりツイードのキャスケットだったり、ざっくり手編みのニット帽だったりと無難なものだが、ようやっと叔母が口うるさく言ってきた意味が少しわかるようになってきた。エレガンスの問題なんですね。帽子を被るのは。

あらら、SNSからまったく関係のない落としどころになってしまったけれど、まあよしとしよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?