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極から極へ

先週は極と極、毛色を異にする作品を2冊読んだ。ひとつは J.エルロイ著「わが母なる暗黒」、米文学界の狂犬とも呼ばれるまさしくアウトローな犯罪小説の巨匠の手による、実母の殺害事件を再調査するノンフィクションノベルだ。ずいぶん長いことこれを読みたいと思っていたのだが、入手困難であったし優先順位的に華々しく上位にくるほどの積極性もなかった。何せ、作者本人のお母様が被害者となった事件を扱っているのだから…。

きっかけはスティーブ・ホデル著「ブラックダリアの真実」をずいぶん以前に読んだ際に、これもまたブラックダリアに妄執しているエルロイの、母親についての言及があったからだ。その後、今年になって買ったまま読み進めることのできなかった彼の代表作のひとつ「LAコンフィデンシャル」を読了できたことに勇気を得て、ようやっと手を伸ばすことになった。

本書は10歳で実の母が殺害されて以来、半生を薬と酒におぼれ酩酊したまま「現実」を生きないことで人間に復讐しているかのような作家の青年期における痛ましい記録と、LAPDの警官と組み、数十年の後に再び自らの手で母の殺人事件を再調査していくという文字どおり心の旅とを記録している。

エルロイの筆致というのは独特で、極力状況説明を省いた実に簡潔な文体でそこに妙な迫力を生み出す特徴がある。また、本書は事件や事象をできる限り事実に迫って描きだしているが、同時に自身の隠しておいてもいいような内面まで露悪的にさらしているのだ。エルロイが犯罪小説家として大成したのは、間違いなく半生を犯罪者として生き、同時に母の事件のトラウマからあらゆる犯罪小説を乱読したことや、そこから被害者への深い追慕と変態的な妄執をあたためて生きてきたことによると感じる。そして、彼は何より誠実だった。何せ、それらすべてを隠すことなく表現してしまうのだから。

もう一冊は「あるがままに愛したい」という胸やけを起こしそうな邦題が残念なグレン・サヴァンの作品。作家は49歳で亡くなってしまい、今わたしたちが読むことのできるのはたった2冊だけなのだが、いずれも恋愛小説としては白眉の傑作。「ぼくの美しい人だから」があまりに衝撃的傑作であったので、迷わずいつか読もうとしながらこちらもやはり時間が経ってしまった。原題は「GOLDMAN'S ANATOMY」、主人公・ゴールドマンの解剖学といったところで、医学書の「GREY'S ANATOMY」をもじったものと思われる。あ、同名のドラマはもちろんそれをもじっていると思います。

男と女、心と身体、精神と肉体、いろんな陰陽のタイミングとバランス、それらが複雑に表層する一個の人間と人間が出逢うとドラマになる。だから、いずれかのタイミングやバランスが少しでもずれていると別のドラマになるか、あるいはドラマは生まれないのだと知る。要するに、健全にフィットする相思相愛がいかに奇跡的なのかということ。

相手を通して自己を理解することが恋愛なのかな…。そして理解したとき、タイミングとバランスがずれていれば、相手は去っていくのかも。この世に生を受けてしまったら、人は人を愛さずにはいられないようにできているんだなとしみじみ。あ、こきおろした邦題に極めて近しい陳腐な感想を述べているじゃないか。つまりは、それくらいこの作品を表現するには真理ということだったのかもしれない。

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