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あなおそろしやのピンストジャケット。

 ネイビージャケット愛好のことは何度か触れたのだが、この春ようやっと、コヤツの良さがわかってきた。何年か前におそらく脳がどうかしてたときにポロ ラルフ・ローレンで2着のネイビージャケットで迷って、どちらかを買うというはずが血迷って両方買ったうちのピンストライプのジャケットだ。これが本当に着こなすのが難しくて、最初の年などは2~3回袖を通したかも怪しいくらいだった。

 一緒に買ったスタンダードでシンプルなネイビージャケットは、着やすいうえにシルエットが完璧なので合わせが難しくない。大抵の組み合わせを丸く治められる手腕があるのだ。おまけに着ていても褒められる。いい仕事をするやつである。しかし、こっちのピンストライプの方は、びみょーに紺も明るめで丈も長い。そしてそして、ピンストライプってこんなに難しかった!?と思うほど意外にも主張が激しいのだった。見るだけでは感じないのだが、袖を通すと負ける。まさしくジャケットに着られてしまうのだ。

見てる分にはさほど難題とも思えないにくいやつ。


 なぜ?こんなにシンプルなのに。なんでそんなにつれないのか…。血迷っていた時代なので非常に高価だったこともあり、まったく着こなせないことでちょっとキライになりかけてもいた。難しさの最たるところは、着こなせてない状態でまとっていると見るからに野暮ったくなること。たぶん、ピンストライプのジャケットって上級者向けなんだと思う。だって、男性誌でも相当スーツ慣れした海外のモデルしか似合っていないもの…。そんなわけで、ごくごく稀に気が向いて袖を通し、鏡に向き合うと「え…待って…」みたいな気持ちになっては脱いでクローゼットにしまい直す、というのが常となっていた。

 それがこの春は様子がちがう。

 ため息交じりに「今回も惨敗かね…」と思いながら袖を通し、鏡を見ると「あれっ」。おかしくないのだ。「似合ってる」とか「着こなせている」でないところが悲しいが、おかしく見えないということに目が驚いた。野暮ったくなってしまうことを避けていたのが、どうも大丈夫っぽい。
 このマジックの種明かし、私は気づいてしまったんですよね…。それは、

 「貫禄」です。ハイ。悲しい哉、それがすべて。

 年を取ってピンストライプのジャケットを着こなせる貫禄が付いたってことなんですよ。おそらくは。「貫禄」これは「迫力」と言い換えてもいいかもしれません。丁寧語に変えてしまうくらいには自分でもこの事実に向き合うことにビビッています。どういう意味?と聞かれても私にも説明できないのですが、厳然として齢を重ねて生まれるものだと思います。

色がわかりやすいようにアップに。ピンストライプの幅も広めかもしれない

 がんばってできるところまでひも解いてみたいと思うのですが、まず推測としてブランドの世界観に生き方が近づくことで得られる同質性。これ、ラルフ・ローレンだからわかったんですよね。仮にそうだな、私がサカイの世界観やヴェルサーチェの世界観に生き方が近づける気はしない。そんな状態で着てもやっぱり着られてしまうんだろう。ラルフ・ローレンはここ数年の自分の漠としたライフスタイルの理想像にフィットしていて、ジャケットを手にして数年がかりで世界観の扉が開いた、要はブランドに受け入れてもらえたのかもしれない(え、ほんとに?)。

 もうひとつが、ブランドはデザイナーの個性や情熱が静かにスパークしているので、ちょっと個性的なものだったりすると着る側のエネルギーが負けていると乗っ取られる気がする。そういう意味で自分のエネルギーがブランドの個性と対峙できるほどに育ってきたのかもしれない(え、だからほんとに?)。 これらは推測の域を出ないので、ばちっとハマった答えの気はしないけれど。現在のところ、ということにしようか。

 考えてみるといくつかのブランドのお洋服を着ても、だいたいは服の力でまとまる気がする。このピンストのジャケットほど私を拒まずに、服の方から歩み寄ってくれた気がする。ふむ、コヤツは見た目以上のつわものだったわけだ。
 ちなみに今、お気に入りの合わせ方はこのジャケットにくるぶしが見える丈のホワイトデニム、インナーはブルーデニム地のくたくたシャツやTシャツなど。こんなにカジュアルなコーディネートなのに、このジャケットを本当の意味で自分のものにするのにもしかしたら4,5年かかっている気がする…。あなおそろしや。

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