見出し画像

彼女への哀悼

くだんの理由で、仕事以外の時間たくさんの本を読んでいる。こんな状況になる以前のわたしの本読みスタイルは、数冊を並行して読み進めることだった。たとえばビジネス書など、スキルや知識習得のために読もうと課して手にした本などは、自宅のバスタイムに湯舟で10分間。この継続でなんとか読了する。他に小説やエッセイ集を数冊、文庫で持ち歩けるものを仕事の移動の合間などに読み進める。ベッドサイドでは眠気がやってくるまで、一番読みたくてとっておいたものを愉悦のなかで読む。こんな感じに。

今はそもそも緩急をつけられる移動時間など、立体的なアクションがほとんどないため、そうもいかず1冊をじっくり読みながら読了すると次へ、という感じだ。そんな日々を過ごしているなかで、この1週間ほど脳内にふと「鷺沢萠」、「さぎさわめぐむ」、「サギサワメグム」と鳴り響く。

彼女は80年代の終わり、女子大生作家として華々しくデビューを飾り当時の角川系で作品を多数見かけた。その彼女が35歳という若さで自死したことは、ほとんど名前しか知らなかった自分にとっても衝撃を覚えたニュースだった。そしてそれが、4月11日だったことを、あまりに気になって検索した結果に知った事実だった。

生前、わたしが一番最初に読んだのは彼女自体の作というよりは、彼女の手による翻訳作品だった。パム・ヒューストン『愛しのろくでなし』。この作品集は非常にわたしの好みに合って、何度か引っ越しのたびに蔵書を整理してきたけれど、この本はずっと共にそばにある一冊だ。その訳文がとても気に入ったことで、彼女自身の著作を確か1~2冊読んだ。わりと気に入った。

華々しく美人女子大生作家と騒がれていたことは、野心燃えたぎる若き日のわたしに、少しの嫉妬と大いなる侮蔑をも与えていたのだが、実際に著作を読んでみると、評価を得るだけ巧みな作者であることをがわかった。けれど、とりわけさらに読みたいと思うこともなく、自分の読書遍歴のなかでもさほど大きな存在感を持つ作者ではなかったのだ。

それでも、なぜか年に1度ほどは毎年、彼女のことを思い出す。なんで死んじゃったんだろう、とか現実的なことは思わない。ただ、その死、その事実、そしてそういう作家がいたということを思うばかりだ。

彼女の作品をほとんど読んだことがない。けれどおそらく、読んだ作品は確実にわたしの心にピンで留められており、今なお鮮やかな生命力を放っているのだろうと信じている。それなので4月は、無意識に彼女を哀悼したくなるんだろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?