乙女チック旅行
こんな時節なもんで、実際には旅なんてとても難しいことになってしまったけれど、「心の旅」だけは時と場所を選ばない。光年の速さでデスティネーションにひとっ飛びだ。たとえばごく身近な例でいえば、「憂鬱」から「愉快」まで、きっかけさえあれば瞬時に移動しているものだ。取り巻く状況自体に変化などなくとも、心の在り様がそのように極から極へ移動することで目に見えるものへの解釈まで様変わりするから不思議だ。
本が好き、活字中毒とくれば、こんな時期であるならなお、うんと読書に耽ればよいのだけれど、なぜか私は食指が動かなかった。なぜだろう?
たぶん、非バーチャルで人と接することがなく可能な限り自分の内にはまり込むことのできてしまう今、自分の好みで本を買うことにとてつもないつまらなさを感じてしまった。結局は、自分の世界を出ることがないばかりか、自分の内なる世界に耽溺する結果になることを、今この状況でとても選ぶ気になれなかったのだ。そこでふと、とびきりの良い考えがひらめいてしまう。
好きな人に「おすすめの本を教えて」とテキストを送った。とても忙しくしているようなので、こんなことに返事などくれないだろうなと期待せずにいると、なんと意外にも10冊ほどのおすすめを教えてくれたのだ。それも、「それではあえて、あなたが選ばないようなものを」といって。
わたしの心はそれこそ極へ突如移動した。うれしくてうれしくて飛び跳ねんばかり。想像と違って、彼が選んだ本は、わたしが認識している彼の世界にはないものばかりで、読まずとも選択だけでその人の私的世界の片りんにそっと触れるようで感動を覚えた。
けれどすぐに、「これらを読んで、僕のことをさもわかったように言うのは勘弁してね」とけん制が入る。とてもプライバシーを重んじる人なので慌てたのでしょう。知らず微笑が浮かんでくるのを抑えることができなかった。
違うのにな。価値観とか考え方を知るためではなくて、おすすめと言えるほどその人が愛着を覚えた世界に触れたい。それに、読んでいる間はかすかなつながりを手繰り寄せることができるような感覚になるからなのだ。
彼はそれを、「なんだ、予想外に乙女チックなことを言うと思ってたらそうでもなかったね」と笑ったけれど、そうだろうか。わたしには充分乙女チックなのだけど。
photo by Ryan McGuire
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