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2020年の儀式

いつから始めたのか、記憶にないのだが12月の後半にサントリーホールに第九を聴きに行くことを1年の精神と魂のくくり直しの儀式としてきた。今年も無事、それを終えて今もカラヤンが振る第九をかけながらこれを書いている。

そんなにホールにうるさくも詳しくもない自分だが、サントリーホールだけは別格に愛していて、その由来はおそらく自分の行動様式ではなかったはずだ。とある昔に10以上も年の離れた女性がよく、サントリーホールの前にあるオーバカナルでシャンペンをごちそうしてくれていて、彼女がオープンエアの席を好むものだから、時間になるとサントリーホールから演奏を聴き終えて満ち足りた人たちが出てくるのを眺めるのが恒例になったからだと思う。さまざまなことに飽いて苦しんでいた時節であったので、そのように音楽を聴きに行く人たちのような心と生活の落ち着きに憧れたのだろう。

そしてベートーヴェンについては先日書いたとおりだ。

交響曲第9番は、ベートーヴェンがほとんど聴力を喪失していたときに書かれた。苦しみに満ちた楽章を通り抜ける頃、わたしたちも彼の怒りと絶望と、置き所のない思いを共にしている。そうして最後の最後、シラーの書いた「歓喜に寄す」が「喜びの歌」としてホールに響き渡るとき、オーケストラの真上、ホールの天井へ向かって音の細胞が細かくきらめきながら昇華していくのが目にみえるようだ。聴いているわたしの、細胞も一斉にその身をふるわせて歓喜するのがわかる。

今年はとりわけ、混沌が世界を覆い、例年カラヤン広場にお目見えするクリスマスツリーも今年は姿を見せないためか、どことなく厳戒態勢である空気が伝播してきた。ここでクラスターを生んでしまったら、またしばらくホールに音楽が鳴ることができなくなるから、劇場運営側の態勢も真剣だ。

楽団員が音を合わせ始めると、少しずつ気持ちが高揚してくる。ぞろぞろとオーケストラが自分の配置に着席し、満を持して指揮者が登場するとおごそかに拍手が彼らを迎える。指揮者の息を吸い込む音までも聞こえる席で、彼が第一音を奏でさせると涙があふれた。この人たちがどういう気持ちで今日を迎えたのか、そして自分や世界中の人の今日にいたる越し方を想像すると涙が止まらなかった。

生きているって素晴らしいな。毎回第九を聴きにこれますように。ここで一年間の答え合わせができますように。「よく生きたか?」に答え、そして魂を再生させるために。次の1年をまた、喜怒哀楽を全力で味わって生きられるように。


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