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あの頃のベートーヴェン

私の生活に音楽が消滅したのは、会社員になって随分たったころだ。それまでの会社観や働き方だけでなく、組織で生きるうえでの倫理観を問われるような企業に転職したことで、存在意義が崩壊していった。それなのに、表向きは華々しくどこにいってもちやほやされる職業であったことが、なおさら「これは肩書がなせる技。わたしである必要は皆無で、誰もわたしにむかって話してなどいないんだ」と気づいたとき、とてもゆっくりと自己崩壊が進んでいった。この頃、どんな音楽であっても耳ざわりで仕方なく、歌詞が英語だろうが日本語だろうが身体の中に落ちてきてしまって鬱陶しく、一切の音楽を拒否するようになっていた。

ところが、非常に不可思議というか、後年になると不可思議などではなく必然だったと確信するのだが、あるときからベートーヴェンだけは聴けるようになったのだ。爾来、来る日も来る日もベートーヴェンを聴いた。主としてピアノ協奏曲第5番、「皇帝」として知られる作品を。

そのころの自分の口癖が「魂のレベルで?」だった。何かを選択するとき、「これは魂のレベルでそう思うのか?」と自問し、そうだと答えられるものだけを選んだ。人に話すときも「魂のレベルでそう思う」ということが増え、実際それは感覚や思い付きでない決断をしたときの背景として語った。今ではまったく使うことがなくなった。魂のレベルで考えるなんてしなくても、自分の前からまやかしのような誘惑がほとんどなくなったからだ。あの頃は、必死にそれを問わないと、真実そのような選択なのか迷子になるばかりであったのだ。

その当時、ある男性と知り合った。そのままいけば、深い付き合いになるのだろうなと予感した男の人だった。初めて二人で逢ったのは、全国的に仕事納めも済んだろう、年末の夜で、待ち合わせた代官山の街には本当に驚くほど人がいなかった。ひどく冷え込む夜のことで、人の消えた街がひどくファンタジックに映ったのをよく覚えている。話しても話しても、話題が尽きることがなく、わたしはその人の前で何度も「魂のレベルで」という言葉を使った。彼は、「魂のレベルでって、おれ以外にも普通に使う人に初めて会った」と言った。

終電も見送り、もういる場所すらなくなっても別れがたく、ファーストフード店に移動しても互いの魂の孤独を打ち明け合った。やっと別れて帰宅をし、疲れ果てて眠り目覚めると12月30日になっていた。携帯にはその彼から「もう二度と会うのはやめよう」とメールが来ていた。「似すぎているから」とあったけれど実際は知らない。

この翌日、指揮者の岩城宏之氏が一日でベートーヴェンの全交響曲の指揮を振るという「振るマラソン」を行った。「ベートーヴェンは、命を懸けるに値する」と言って。




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