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ビーフ・ウェリントンの思い出

 ときどき、「いま私は、とても透明な気持ちで向き合っている」と感じられる非常に稀有な瞬間を持てることがあるのだが、それは極めてはかなく、自分がいっとき「あ、いまがそうだ」と認識した途端、その透明と感じた気持ちは霧散するように思う。ごくわずかな、その感触を手放さずに持ちこたえたまま文章を書けたときは、後になって読み返すと自分が書いたとはとても思えない、初めて読むような心持ちを得られるので実に不思議である。

 今日は冬至。
 自然というものの不思議を実感するが、連日「こんなの師走の気温ではない」とか口にしていても、すっと日の光が変わる。気温以上に冬を思わせる、独特の鈍色とそれを反射するかのような光の調子だ。冬至の前日くらいから急にそれは変化し、冬至を迎えて極まる。

 いつかの冬、クリスマス料理に初めてビーフ・ウェリントンをつくった。以前はクリスマスに向けてシュトレンを買ってみたりつくってみたり、当日の料理は鶏を贅沢に使ってローストしてみたり、あるいは出来あいの見事なローストを買ってきたりとしていたが、ビーフ・ウェリントンをつくった年の冬は忘れられない。その頃自分は、大病から社会復帰をして2年目で、やっと生活をふつうに取り戻せるようになってきていた。生活をいわゆる「ふつうに」送れることの奇跡をみずみずしく感動しながら生きていた。

 時間帯によって変わる空の色、植物の微細な変化、図書館に通い本を借りる行為、商店街で野菜を買う行為、そうした今ではとても適わない贅沢でゆっくりとした時間を持つことで充実していた。赤木有為子さんの英国料理とエッセイが一体化した本を当時とても気に入っていて、そこで知った英国料理であるビーフ・ウェリントンに魅了された。非常に手が込んでいて今だったらまずつくらない。けれど、買ったばかりのコンベクションオーブンで毎日のように何かをローストしたり、焼き菓子をつくっていたので、さほど良く考えずに取り掛かってしまい、まあまあ後悔した。

 けれど焼き上がりの忘れられない香りや、手作りの達成感とおいしさ。不思議なほど心が満たされあたたまった記憶が鮮明だ。もう二度とつくることはないと思われるそれは、自分のなかで日々をいとおしんで大切に過ごした象徴のようになっている。クリスマスと相まって、穏やかで優しい気持ちになれたハートフルな記憶なのだった。

 そんなわけであわただしく過ぎてしまう心にビーフ・ウェリントンを。
なんのこっちゃ。

 ホリデーシーズンを盛り上げる1曲、Pretendersの「2000Miles」。
https://youtu.be/AEyGZlBdkaA

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