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とりあえずおしまいの記

 胃をわるくし四六時中すっきりせず、なんなら少し吐き気すらしているのに馬鹿みたいにコーヒーを流し込んでいる。これは本当にばかみたいとしか言えない、ただの悪癖だ。けれどさすがに2杯目をカップに並々と注いでいるが、口をつける気になれずに温度がただ下がっていくままに任せている。

 10月から再びフリーランスの人に戻った。けれど若干当初の予定と変わった。もともと9月末日で退職をし、たった数ヶ月の会社員生活を終え再びフリーランスに戻るという物理的な観点では予定どおりなのだが、退職間際にドラマのような漫画のような出来事が起き、現在同じ会社の異なる部署で業務委託契約をするに至った。この辺の出来事は若干公にしない方がよさそうなので控えておく。

 フリーランスになって14年のなかで、仕事をさせてもらっていた企業はほとんどがスタートアップだったりしたので、経営者が最新のアプローチを備えていたり(ツールやテクニカル面などでも)、若手が経営の舵をとっている環境が多かったことから、そのスタイルが常に時代の先端と歩みを共にしていたと思う。具体的に言えばドラッカー式というか、ジェネラリスト育成ではなく専門家を鍛えて補完しながら組織をつくっていくタイプが多かった。また、自由闊達に議論のできる風土があり、あるいはできない場合でもチームがしっかり機能していたことで、個々人の声が封殺されていくことがなかった。誰かの声は、きちんと誰かに届いていた。

 いわゆるジョブ型雇用の議論はそういった年々歳々の築かれた地盤のうえに、おのず訪れた必然だったと思う。企業は自社社員だけでなくさまざまな働き方の従業員を多様にワークさせながら成果を追求したし、だからこそスピード感のある経営になっていた。私は自分の嗜好とそれらが非常に適合していたこともあり、すっかりこのスタイルでないと「らしさ」が出ない人間になっていたと思う。

 今回、数ヶ月で終えた会社員生活では驚くことばかりだった。自分の部署は誰かに送るメールひとつ、社内で過ごす時間すべて、何もかもが上長に報告が必要であり、そのなかで上長と異なる見解が見受けられた場合は矯正するまで追い込まれた。今、まだたった2日であるのにそれらから解放された自分が、深く息が吸えるし朝の訪れが不快でなくなっていることにびっくりしている。人間関係のストレスは甚大なのだ。

 しかし、それはすべて私の視点からの物語であり、必ず相手の視点からの物語では私が悪い登場人物になっていると思う。両者にとっていずれの物語も間違いではなく、だからここで「どっちが正しい」の綱引きは本当にナンセンスとなってしまう。これは昔からこういう考えなので、自分はそういうときある程度できる働きかけをしたうえで解決をみない場合は早々に舞台から引き上げることにしてきた。そのうえで、自分の物語と合致できる土壌としての舞台を探す。

 10月といえどいまだ30度近い残暑が続き、かつてもっとも過ごしやすかった季節はほんのわずかな期間しか訪れない。だからうっかりと、まだ時間があるような錯覚をしてしまいそうになるが歴然として今年もあと3ヶ月しかないのだ。自分探しなどとうの昔に終えているのだから、自分がどんな環境で力を発揮できるかはもうわかっているだろう。毎日が有限である意識を忘れずに1日1日を目いっぱいで生きていきたいと思う。

 ここ数ヶ月に起きたこれらの話は、いったんこの辺でおしまいにしようと思う。

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