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逃避のための文章

 日曜の21時を過ぎてやっとこさPCの前に自分をセット。逃げに逃げた休日の仕上げである。これから来週のための仕事をしなくてはならない。

 今週末は金曜に思いがけず長時間の残業を会社でしてしまい、帰宅が深夜2時を過ぎた。けれども金曜の夜の解放感を損ないたくないので、就寝した頃には庭(※大家さん宅の)に小鳥がさえずりはじめていた。遮光カーテンのすきまから漏れ出る新しい朝を見届けて、限界を迎えていた眠気がこと切れた。

 自分は「眠る」ということが何気に人生の重要事項なんだと思う。それなので、土曜日はまだしも、日曜も幾度か目が覚めるたびにがんばって眠りの世界に逃避していた。ぬるま湯のように、体温がつくったほどよい温度の布団で背を丸める「胎児ごっこ」をする。このうえなく心地よく、安全で何からも守られた繭のような世界で傷んだ細胞を癒し修復し、目が覚めたらエネルギーが充電されている…、そんなふうな自己催眠をかけて眠る。そして、それを目が覚めるたびに繰り返した。

 これから着手する仕事がいやなのではなく、面白いものをやるんだとわかっていても、休日という誰からも強制されない日にデスクに向かう、この第一段階がつらい。じぶんの全勢力でもって抵抗している。なぜ。

 それなのでこういうときは、逃げられない限界まで逃げることにしている。猶予があると思うからだめなのだ。それで限界をおおむね21時に定めているものだから、その2時間前にコーヒーをたっぷりとつくる。ポットに移してまずは半身だけ起こす。そこで新聞なり漫画なり、なにかを読むという準備運動が開始。体を起こし、覚醒させる薬飲みのブラックコーヒー、脳にぷすぷすと空気穴をあけていく「読む」という作業、これらをなんとかこなしてやっとの21時だ。あわれ怠け者。

 けれどそういったところで今度はある種儀式めいた、PCに向かって作業をする、という行為をひとつかませる。それによって完全に仕事に入るモードになるからだ。長い。長いよ自分。

 ちなみに平日はロボットと化しているのでこんな儀式は当然要らない。
ただ、これは数年前にわかったんだけど、どうも自分は季節性鬱の傾向があって、日照時間が減るとかなり朝が苦手になる。もともと苦手なのだから輪をかけて、だ。とはいえ仕事の連絡が9時くらいからどんどん入り始めるので、自分のせいで他人の仕事を止めることだけはいやなものだから、なんとか起きだして仕事を始められている。季節性鬱といってもかわいいもんで、ほとんどが「朝がとてつもなくつらい」ことと、その時間帯にネガティブになりやすい程度。顕著に11月くらいからこういうことになるので、あるとき日照時間と関係しているんだ、とわかった。

 ◇◇◇

 今冬、3着の現役コートのうち、9割がPコートしか着ていない。いいんけどもったいないな、と毎度気おくれしている。気づいたのだが、うち2着がロングコートでかつボタン留めでなくベルテッドタイプ、これが自分にとって結構苦手な着こなしなんだと気づいた。まさかの。

 Pコートは海軍発祥だから、前ボタンでびしっと防風・防寒する。動きやすいように丈もハーフだ。要するにそれ。動きやすさと着やすさがこのうえなく、ちょっとした羽織もの感覚でまとえることが自分にとってコートに求めるものだと痛感した。そういえば数年前にもそんなことを書いたな。

 ボタンなしのフルレングス、ベルテッドコートっていうのは、着るというよりまとう服。日本人が苦手といわれる着こなしだ。骨格にうまくまとう、はおらせる着方というのが民族的に難しい。着物由来のかっちり締めて結ぶ文化だからか。外国人が日本の浴衣をバスローブみたいに部屋着ではおったりしているけれど、あんなふうなことがおよそDNAに書き込まれていないのだ。できる人もそりゃいるだろうけれど、自分のような人間にはむりなんんだと悟った。遅い。遅すぎる。これからどんなに見目麗しいコートでも、まとうことが基本の仕立てのものにはもう手を出さない。学習しよう。

 Pコートもだいぶ出色でいろんな型があるが、自分の一着はおしゃれではなくかなりクラシックタイプ。びっちり体を守り包込み、いま気に入っているのは両えりを立ててジョンストンズの黒い大判ストールをぐるぐる巻きに首元に巻く着方。メンズライクになってよい。

 おお、もうこれくらいで逃避を終えなければ。

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