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大阪城は五センチ《 5 》 【創作大賞2024】

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始めは、よく似ている人がいると、ただ思った。

人波の向こう、さまざまなステンレス容器が展示されたブースで、こちらに背を向けて同行者と談笑する男のたたずまいが好ましかったので目を引いた。
(宇治が現実にいたら、あんな感じかもしれん)
後ろ姿を見つめるうち自然と笑みが浮かび、顔の方はどれくらい似ているのだろうと興味本位で眺めていると、振り返った顔がマレーバクによく似ている。

宇治だと分かって、見本品のディスプレイを整えていた指先から血の気がひいた。

企業向けに行われるフードビジネスの展示会に、わたしの会社は食品容器の部門で出展していたのだった。来場者の立場であるらしい宇治が、やたら体格のいい上司めいた男と連れ立って、こちらに向かって歩いてくる。メーカーの人間か。それともおろし業者か。年明けに施術を受けたのが土曜だったことを思い出し、あの日が仕事始めなのだったら飲食業かもしれないと当たりをつけたところで、

「由鶴さん、ワイヤフーズさん来はった」

新規の顧客対応をしていた多部ちゃんに鋭く声を掛けられ、ハッとして振り返った。顔馴染みの担当者が、白髪混じりの立派な眉を八の字に下げて笑いながら「ヤギちゃんおつかれちゃん」とタクシーを止める時のような手つきで、こちらに向けた手のひらを振っている。付き合いの長い取引先の接客は、わたしの役目と言うことになっていた。すがるように先方に会釈をして、宇治に気づかれることのないよう、体の向きをしっかりと変える。

プラスチックや紙の代替だいたいとして利用できる、循環型の新素材で作ったテイクアウト容器のシリーズが、今年度の新製品だった。

背後に気を取られながら、使用している新素材が製造工程においても環境保全に貢献していることや、耐水性や耐久性に優れていることを説明する。物珍しそうにランチボックスやパウチ状のドリンク袋を手に取っていた担当者は、けれど現状利用している製品よりコスト高であることを知ると、こちらをあやすような顔つきで微笑んで見本から手を引いた。

価格に厳しいワイヤフーズが、今回のシリーズを使う見込みは初めから無い。形式的に検討を促し、カタログを手渡して見送ると、

「あ。このドリンクパック、最初っから色がついてるんや」

すぐ後ろで知った声がしたので、心臓が跳ね上がった。咄嗟とっさにカタログをもう一部手に取り、首掛けホルダーに入れた出展者のIDカードと名刺を隠すように胸に抱く。

「例えば、このドリンクパックの左半分だけに、お客様の販売される商品の色味と相性の良い色の印刷をかけるんです。これだけで既存商品の印象がファッション性のあるものに変わりますし、右半分は容器の底から口までドリンクが可視化されていますから、販売物についてお客様に誤認させてしまうこともありません」

多部ちゃんがちょうどドリンクパックの案内を行っていたので応対しているのかとも思ったけれど、「これ良くないですか?」「どこで使うねん」「中崎町なかざきちょうの新店舗とかで」案内と並行して宇治と同行者の会話も聞こえてきたので、彼女が対応中なのは別の客なのだと分かった。腹をくくり、けれど名刺はカタログでしっかりと隠したまま振り返る。宇治よりも手前に立っていた、スーツが隆起りゅうきするほど胸まわりに厚く筋肉のついた、三白眼さんぱくがんの大男と先に目が合う。

「そちらは春から販売予定のシリーズです。循環型の新素材を使用しているので、導入することで企業イメージにも貢献できる製品となっております」

精一杯の笑顔で声を掛けると、男の横で宇治が一瞬息を飲むのが見えた。宇治の方とは、怖くて目を合わせることはできない。わたしと歳の頃の同じくらいだろう大男の方だけを見上げて、マニュアル通りに製品説明を行った。

「ふぅん。持続可能なアレですね」

こなれた表情で相槌をうちながらドリンクパックに手を伸ばしかけ、けれど男はわたしの後方の混み合う通路に親しい人間の姿を見つけたらしく「カワベさん来てはったんですか」破顔はがんして手を軽く上げ、ブースから離れてしまった。歩き去る男を途中まで目で追い、それからゆっくりと正面に向き直る。正月にホテルで見たのと同じ、チャコールグレーのスーツに藍色のネクタイをした宇治が、気まずそうな顔つきでわたしに頭を下げる。

「すみません、案内してくださってたのに。続き聞かせてもらってもいいですか」

聞き馴染みのあるトーンで丁寧に詫び、見慣れた笑顔を浮かべる宇治と、その後ろで先行予約の手続きを進めているらしい多部ちゃんが、同じ視界にいることに混乱した。「いえ、大丈夫です」と答えている自分が一体どこに立っているのだか分からないまま、こちらも営業然とした笑顔を返す。
わたしの、宇治の、目線がボールをつくようにほんの一瞬お互いの首掛けホルダーに落ちてすぐに戻る。宇治の方は来場者IDのみで名刺は入れておらず、本当の名前は分からない。胸に抱き続けているカタログを、さらに体に押し付ける。

「今日はエリアマネージャーと回ってて。そこにおるヒョロっとした子です、若く見えるでしょ。ええ奴なんですけど、原価意識低くて。その場の思いつきでやりたいことやってるだけなんで、数字の方は全然かな。カワベさんも絡むことあったら、バキバキに鍛えたってください」

わたしの斜め後ろで雑談をしている男の声が、人混みの中でもよく通った。宇治の耳も一言一句余さず拾ったのだろう。苦笑いしながらドリンクパックに目を移して「色って何色なんしょく展開なんですか?」と遠慮がちに訊いてくる。
「色はオーダーメイドです。色見本の中から選んで指定することもできますし、販売されるドリンク画像をいただけましたら、AIが解析した相性の良い色をご提案することもできます」
ほとんど上の空で謳い文句をなぞると、並べている見本品の中から、いちばん印刷の凝っていて価格も高くつくドリンクパックを、宇治が迷いなく選び取った。

数字のほうは、ほんまに、ぜんぜんかも知れんな。

自分の冴えない営業成績を棚に上げながら、大男の見立てにこっそりと賛同する。宇治がいつもよりもひとまわり小さく、凡庸ぼんようなものとして映ることで、現実の人間としての輪郭が際立っていくようだった。ほんとうにいる人だったのだと思い、傷ついた。現実の宇治がいる場所から、現実の自分はあまりに遠い場所にいる。最初から、ほんとうには関係することができない人だったのだと、そのことを思い知らされて、着々と傷ついた。

ドリンクパックの口元のチャックを、よく知った指が左右に開く。第二関節のあたりまで差し入れ、カラー印刷のかかった部分と半透明な部分を行き来して透け感を確かめていた指先が、容器の内側にふと触れる。

「印刷の部分って、ドリンク入れたら見た目の色変わりそうですね」

半分ひとりごとのように呟いた宇治がこちらに顔を向けた瞬間、寒気のようなものが首元に走り、ぞくっと僅かに肩をすくめた。「色、そうですね。変わると。若干は、変わると思います」動揺して噛みながら答えるのを見た宇治が、ふっと表情を砕けさせて目を逸らし、決まり悪そうにドリンクパックを見本棚に戻す。

ばれるから、ふつうにして。

のどかな顔つきで切実にささやかれ、けれどその声の中に、施術の時にだけ聞く焚きつけるような響きも混在していることに立ちくらんだ。会場のざわめきとホテルのしずけさが、揚げ物や粉物の入り混じったぞくめいた匂いと熱い紅茶のみやびやかな匂いが、服を着ている宇治とパンツだけの宇治が、記憶の中で複雑に絡まり合い一緒くたになっていく。どこでもない世界と、わたしのいる世界が、容赦なくつながって元の形を失い、裏返って放り出され、見たことのない風景だけが広がる場所に立ち尽くす。

この人を好き。

青ざめながら思う。

セラピストが連れてくるのはゴールではなく、四方から溶けて足場の刻々失われていく、流氷の上だったのかもしれない。呆然と氷に膝をついて突っ伏して、「この人からも、好きになられたい」打ちのめされたように祈った瞬間、ぐらりと頭から海に落ちた。名刺を隠していたカタログを体から離す。

「このQRコードから特設ページに行けます。お客様の販売商品の画像をアップロードいただくことで、簡易的にカラー診断をして製品見本を表示できますので、よかったら試してみてください」

裏表紙のQRコードを指し示しながら宇治に渡した。目の高さを一切変えずに「ありがとうございます」と微笑んで受け取った宇治が、すぐに視線を上司のほうへと向けて歩き出す。
わたしの名前を、意識して見ないようにしたのだと分かった。
さっきまでは何があっても見られたくなかったものであるのに、いまは見ないようにされたことが悲しくてたまらない。このたった数分の間に、いったい何が起こってしまったのか、自分でも全くわからない。

「お知り合いでした?」

いつから様子を伺っていたのか、接客の終わったタイミングを見計らったように多部ちゃんに声をかけられる。顔を向け、笑いながら首を振る。

「あんなゴツい人わたしの生活圏内におらんて」
「ラガーマンのほうやなくて。由鶴さんが喋ってた、背ぇ高い平和顔のほう」

うっすら面白がりながら宇治の後ろ姿を目で追う多部ちゃんの様子を見ながら、風俗でいつも指名してる人だと正直に答えたら、どんな反応をされるのだろうと考える。多部ちゃんにならって会場出口の方向に振り返ると、姿勢と歩き方のくせで、人混みの中でも宇治がどこにいるのだかすぐに分かった。同じスーツを着た人間がひしめいていても、すぐに見つけることが出来そうだと思いながら、

「いや、初めてうたけど」

言ってブースに向き直り、口の開いたドリンクパックを手に取った。チャックをしめて元に戻す。そうですか。ニヤニヤしながらも、多部ちゃんがあっさり引き下がってくれたことに感謝をして時計を見ると、展示会終了まであと二時間だった。

きょう、予約取れるかな。

しんとした頭で思う。仕事を上がったらすぐにアプリを立ち上げて、宇治の出勤状況を確かめようと思った。出勤しているようだったら、すぐに予約の手続きをしようと思った。意味もなくカタログをめくり、展示プレートの角度を正して回る。頭の中で退勤後の動きだけを反芻して、消化試合のように展示会閉場の時間を待つ。



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