見出し画像

Ready or not

月曜日。生まれて此の方一度も丸洗いしていないことに気づき、慌てて舌を切り落とすと、右手に持った裁ち鋏から肉の繊維を断ち切るじょりじょりと湿った感触。

洗剤は使わない方がいいと聞いたので、洗面所の蛇口をひねりたっぷりと水を流して、指の腹で撫でるように洗ってみた。表面のなめらかな舌は、ていねいに炊いた高野豆腐みたいな、つつましい弾力をしていていじらしい。

すっかり清潔になり満足したところで、これってどうやってくっつけたらいいのだろう。ふと思ったら、血の気が引いた。

鏡に向かって口をひらく。喉の奥で筒状の器官がふたつ、切り口をこちらに向けてぐねぐねと動いている。手のひらに持った舌を確認すると、舌元にも同じくらいの直径の管がふたつ、しんと短く突き出ていた。

にんげんの体が単純なつくりであったことに心から感謝して、口の中に舌をめ、管どうしの断面が重なるように押しつける。咽頭のあたりに張力めいたちからを感じ、そろそろと手を離すと無事につながっているらしかった。

舌を動かさないように口を閉じ、真顔で鏡と見つめ合う。

つながったらつながったで、誤った付け方をしたせいで二度と直せず取り返しのつかないことになっていたらどうしようと、胸騒ぎがおさまらない。

Hello.

そっと言葉を発してみる。問題なく言えたけれど、なんだかひとまわり、舌が大きくなったような感じがする。つける場所がちがったのか。水洗いの時間が長かったのか。切り落としたら、いけなかったのか。

激しくなっていく動悸の中で、「reduce.reuse.recycle」立て続けに、ゆっくりと唱える。reの発音がきちんと出来る舌なら、ひらがなは全て話せるだろう。思ったけれど、うまくゆかず自分の言語を失ったと思い知らされたときのことを想像すると、怖くて日本語を試せない。

reset.

泣きながら、鏡に向かって発音する。さっきよりも舌が膨らんだような気がして、こわごわ口を開いてみる。喉の奥で、どこかにつながりそこねた管が一本、ぐねぐねと動いている。


この記事が参加している募集

#SF小説が好き

3,172件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?