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【紹介】フランツ・カフカ『変身』

【キモ面白くて学びの多い作品】

※この記事はYouTubeで話した内容のまとめです。動画も合わせてご覧いただけると幸いです。

 この物語は、ある朝、主人公のグレーゴル・ザムザが目を覚ますと巨大な虫になっているという衝撃的なオープニングから始まります。アニメや小説などでもよく引用されるので、ご存知の方も多いかと思います。

 なお、記事全体の流れは以下のようになっています。

・著者紹介
・ストーリー①〜④
・まとめ
・総括
・余談①②

〈海外古典文学初心者におすすめ〉
 これからストーリーを含めた全体の話に入りますが、この作品はまさに、海外古典文学初心者におすすめしたい一冊です。これから教養を深めるために文学作品読んでいきたいよという方は、ぜひ最後までお読みください。

 おすすめポイント
・登場人物が少ない(メインが四人、一家族)
・ストーリーが単純(家から出ません)
・薄い(100ページ未満)

【著者紹介】

 本編入る前に、著者について軽く紹介しておきます。
 著者、フランツ・カフカ(Franz Kafka)はチェコ出身、ドイツ語作家(1883-1924)です。『変身』以外には、『審判』、『城』などが有名で、20世紀を代表する作家とも言われています。なお、本作は1912年に執筆され、1915年に出版されています。
 カフカ の描く作品の多くは、ある特定のテーマを持っています。それは「不条理」です。

〈不条理とはなにか?〉
 平たくいうと、「事柄の筋道が立たないこと」、または「個人の力では太刀打ちすることのできない圧倒的な力」みたいなものを言います。とは、言われてもいまいちピンとこないですよね。この作品の中でわかりやすく書かれていますので今から解説していきたいと思います。

 では、本編です。

【ストーリー①】あらすじと登場人物

 ある朝、グレーゴル・ザムザは巨大な虫の姿で目覚めます。理由はありません。足がわらわらついているようなグロテスクなやつです。その日から、この一家の奇妙な生活が始まります。医者に見せたり専門家を呼んだりもせず、化け物との共同生活で静かに憔悴していくザムザ一家の姿が描かれています。

 注目すべきは、登場人物が三者三様の現実逃避を行うところです。

〈主な登場人物〉
・主人公グレーゴル・ザムザ……サラリーマン、一家の稼ぎ頭。
・妹グレーテ……17歳、バイオリン趣味でちょっと抜けている。
・父親……高齢、会社倒産で無職。
・母親……裁縫が得意。

【ストーリー②】グレーゴルが虫になってから

〈グレーゴル・ザムザ〉
 虫になってしまった当人なんですが、「いつか目覚めたら元の姿に戻ってるんじゃないか」みたいに、ずっと楽観的に考えています(人間に戻る希望を失ったら理性を失ってしまうからか)。ただし、体は正直で、声を失い視力を失い、思考力が衰え、確実に人間味を失っていきます。ついには天井を這い回るようになります(彼の通った後には粘着液が残る有様)。完全に化け物。
 そして彼の行動の全てが裏目に出ます。よかれと思ってとった行動はことごとく家族を怯えさせさてしまうのでした。

〈父親〉
 父親は無視を決め込みます。「あれはグレーゴルじゃない!」と鼻から決めてかかるのです。家計を支えるために銀行の用務員として再就職するのですが、「家でも上司からの指示を待つかのように制服を脱ごうとしない」という描写や、「毎朝、新聞を読み聞かせる習慣があった」という描写からも読み取れるように、権威や世間の目に弱い性格だったようです。それゆえに、グレーゴルのことを外部に漏らさないよう医者に見せたりもしなかったのでしょう。

〈母親〉
 母親はというと、息子への愛はあるけどグロテスクな姿を直視できないでいます。父や妹の言いつけに従順で、まったくといっていいほど自己主張をしません。「選択を放棄する」という現実逃避をするわけです。

〈妹グレーテ〉
 グレーテだけが献身的にグレーゴルの世話をしてくれます。食事をやり、部屋の掃除をします。グレーゴルも、もともと妹のことを愛しており、働いたお金をちょっとずつためて音楽学校に行かせてやろうとしていました。
 ただ、この妹が曲者です。
 ちょっと抜けてて周囲から「役立たず」呼ばわりされていた妹が、ここにきてグレーゴルの世話係という役を得てしまったことで、抑圧されていた承認欲求が爆発してしまいます。「お兄ちゃんのことを理解できるのは私だけよ」と思いこみ始めるのです。最初から精神的に未熟だった彼女は、加速度的に病んでいきます。

【ストーリー③】グレーゴルの衰弱

 ある日、部屋を這い回り始めたグレーゴルのために、グレーテと母親が家具を運び出してやろうとします。最初は身を潜めていたグレーゴルでしたが、自分が人間だった痕跡が徐々になくなっていくことに恐怖を覚え、ついには一枚の絵を守るために母親の前に飛び出してしまいます。気を失ってしまう母親、慌てふためくグレーテ、折り悪く父帰宅。グレーテに理由を聞くと泣きながら「グレーゴルが」とだけ言う。「ついにあいつやりやがった!」と勘違いした父がグレーゴルに向けてりんごを投げつけると、そのうちの一球が背中にめり込んでグレーゴルは深い傷を負います。その日からグレーゴルの食欲は減り、動きも鈍くなり、日に日に衰弱していきます。

【ストーリー④】エンディング

 終わりは唐突にやってきます。

 父親は空き部屋に三人の居候を住まわせようとします。家賃収入を家計の足しにするためです。ところが、この居候たちにグレーゴルの姿が目撃されてしまうのです。その原因になったのが、皮肉にも愛する妹のバイオリン
 居候たちの前でバイオリンを披露することになったのですが、久しぶりに妹の演奏姿を見たグレーゴルが、何をとち狂ったか、「今こそ音楽学校に行けるようにお金を貯めてたことを言ってやろう」と部屋を飛び出していきます。おそらく衰弱によって正常な判断ができなくなっていたのでしょう。
 場は騒然となり、なだめる父親の言葉虚しく、「こんな化け物がいる家に家賃なんか払えるか!」と怒る居候たち。
 化け物との共同生活で精神を病み、また貧乏生活に嫌気がさしていた妹は愛する兄、グレーゴルを罵倒します。心の拠り所としていた妹から「あいつがいるから人生めちゃくちゃよ! 早く追い出してやりましょう!」と徹底的に突き放され、生きる気力を失ったのでしょう、翌日、グレーゴルは動かなくなってしまいます。

 厄介者がいなくなった家族は、まるで旅行の計画を立てるかのように、明日から始まる輝かしい生活に想いを馳せるのでした。おしまい。

【まとめ】

 なんとも後味の悪い終り方をした『変身』でした。

 さて、カフカのテーマ覚えていますか?
 ——そう、不条理ですね。この作品でいうところの不条理は、主人公が虫になってしまったというところです。昔話や童話だと、悪い魔法使いとか、悪い行いによって姿を変えられてしまうでしょう。それならまだ悲しみや怒りの矛先があって感情のやり場があるでしょうが、唐突にやってきてこそ不条理であり、歪みは個人の内に向かいます。
 身内が虫になると言う大きな不条理に直面し、いずれ破綻するとわかりつつも目を逸らし続けている家族の姿勢は滑稽ならがも、この上ないリアリティを持って迫ってきました。
〈人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である〉と言ったのは喜劇王チャールズ・チャップリン。まさに、カフカが『変身』と言う作品で描きたかったのは不条理を用いた喜劇だったのです(カフカ自身、この作品ができた時、周囲に笑いながら読み聞かせていたとのこと)。
 人間らしさや本性というのは不条理に直面した時こそ現れるのです。

『変身』についての話はこれで終わりですが、2020年5月現在、まさに世界は大きな不条理に直面しています。
 そう、新型コロナウイルスですね。
 デマに踊らされて買い占めをしたり、経済破綻から目を逸らしたりする私たちの姿を、カフカが見たらなんと言うでしょう。
 100年以上前に書かれた作品からも現代に通じる知見を得られるのが古典文学の醍醐味と言えます。

 コロナの話が出たので、アルベール・カミュという作家にも触れておきます。
 カフカと同じように不条理作家として有名なカミュですが、彼が『ペスト』という作品を発表していまして、まさに疫病が蔓延した世界のことを描いています。カミュは「不条理を認知し、立ち向かう姿勢が人間の尊厳」だと主張し、この作品の中でも不条理に対面して本性を現していく人々が描かれています。
 カミュも大好きな作家なのでいずれ解説していきたいと思います。

『変身』総括

・主人公がある日突然でかい虫になるという不条理に直面し、主人公と家族が現実逃避するお話。

・不条理に直面したときこそ、人間の本質が現れる。それはある種の滑稽さを孕んでおり、不条理を用いたコメディーをカフカは描きたかった。

・しかし、不条理とは私たちの前にもある日突然やってくるので笑ってはいられない(たとえば新型コロナウイルスとか)。

【余談①】

 カミュといえば、『シーシュポスの神話』内でカフカの描く不条理を分析しています。その中で、こんな比喩が面白かったので残しておきます。

風呂桶のなかで釣りをしている狂人というよく知られた物語がある。精神病の治療法に独自の見解をもっている医者が「かかるかね」とたずねたとき、気違いのほうはきっぱりと答えた。「とんでもない、馬鹿な、これは風呂桶じゃないか」。(新潮文庫『シーシュポスの神話』より抜粋)

 狂人を「理解が及ばないもの」と日常生活から完全に切り離してしまえればまだ救いようがありますが、微妙に常人と近い認識を持っているからこそ居心地が悪く感じられるのです。 
 今回の『変身』でいえば、日常の象徴であるようなサラリーマンが「虫になる」という狂気を身に纏いながらも日常生活を維持しようとする、その日常と狂気の混交がカフカの妙であり、不気味さと芸術性の根元になっているのです。

【余談②】

 この『変身』が収録された本は手元に三冊あります。新潮社文庫、岩波文庫、光文社古典新訳シリーズの定番どころ三社です。何が違うかと言えば、翻訳者です。翻訳によって雰囲気やニュアンスが若干変わってくるのですね。翻訳者の考察が書かれている後書きを読むのも乙なものです。自分にあった翻訳者を見つけるのも翻訳作品ならではの楽しみと言えます。
「どれが一番いいの?」と聞かれると迷うところですが、初心者は古典新訳シリーズがおすすめです。現代語で書かれていてひっかかりが少ないと思います。後書きも読み応えがありますし、同収録作品『掟の前で』も考察のしがいありです。

 また、カフカは短編が面白く本数も多いので、彼のスタイルにハマったら、岩波文庫『カフカ短篇集』や、ちくま文庫『カフカ・セレクション』も手に取ってみてください。


以上


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