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はじまらなかった恋はずっと終わらない

色々な人が「何かを『しなかった』後悔というのは一生続く」と言う。10代後半の頃は、その言葉を「そうでなければいいな」と思っていた。20代半ばになって、いよいよ「これは、まずい……かも知れない」という予感を感じ始めた。

そして、今、30代の後半になって「これは、間違いない。きっと私は、あの恋を一生引きずることになる」と確信している。

私は、19歳のときにバイト先の先輩の紹介で今の夫と知り合って、そこからずっと一緒にいる。彼が私に愛想をつかさなければ、この先もそれは変わらないと思う。

ただ、未だに忘れらない人がいる。高校時代の友達には、一度「もしかしたら、あの人のことは一生忘れられないかも知れない」と話したことがあるのだけど、そのときは「嘘でしょ!?」と驚かれた。

私が言った「あの人」というのは、中学時代のひとつ年上の先輩。高校時代、女子高ということもあって、私は好きな人ができなかった。というか、その先輩のことを、中学時代とほぼ変わらない温度でずっと好きだったので、新しい出会いも求めていなかった。

高校時代の友達には、高校生のときにそんな私の気持ちを話していたのだけど。さすがに30代になっても、私がその先輩への気持ちが消え切っていないと知って、とても驚いたようだった。中学生の頃の私も、まさか先輩の存在をここまで長く長く引きずるなんて思っていなかっただろう。

今の私だって、驚いている。

渡り廊下ですれ違ったときの緊張した空気、通り過ぎた後で見つめた白いシャツの背中。形の良い横顔。笑った時、細い目がふわっとやわらかく変わるところ、生徒会の仕事中の眼鏡をかけた見慣れない顔。

先輩のなにもかもに、単純な私はいちいち胸を掴まれた。それをひとつずつ、今も覚えている。その時々の季節も、空気の冷たさや温かさも。先輩を好きだと思った初めての瞬間も。

私は中学時代より色々な意味で変わったし、先輩もきっと変わっただろう。真面目で努力家で、学校で2番目に勉強ができて、副生徒会長をしていた人だったので、今は立派な仕事について、美人な奥さんと、子どもだってきっといると思う。

仮に先輩から今、連絡が来ても、私は返事はしないつもりでいる。夫のことが好きだし、夫とは一緒に積み重ねてきたものがあまりにもありすぎて、夫なしの人生は、もうありえない。

ただ、忘れられないというだけの、ぼんやりとした形の、ぬるく、やわやわとした先輩に関する気持ちと思い出だけが、未だに残っていて。年に、一度は取り出して、短時間だけれど、こっそりその気持ちを見つめてしまう。

私の気持ちは、周りのお節介な女友達のため、先輩には当然、知られていた。先輩の気持ちは、正直なところ、今でもはっきりとは分からない。

受験に向かう先輩の邪魔になりたくないと思っていたし、容姿についてクソミソに言われて育った私は、なんせ自分にこれっぽちの自信もなかった。フラれることは、それほど怖くなかった。ただただ、私のようなものに告白されたら、きっと迷惑だろう、と思ってしまった。

小さい村の中学校だったし、1年生の子が何人か先輩のことが好きらしい、という噂も聞いた。その中には、私より大人っぽくて、すごく可愛い学校内のマドンナ的な子もいた。中学2年生が思う「大人っぽい」なんてたかが知れているんだけど、そんな些細な差に、私は果てしないほどの劣等感を感じていた。

そうして、私は先輩に告白する機会も作らず、気持ちを伝える勇気も出せないまま、3月を迎えた。

先輩は、無事良い高校に合格した。先輩の合格を知った頃、先輩に告白した1年生が全員フラれたという噂も一緒に聞いた。それでも、私はやっぱりなにもしなかった。

先輩の卒業式の日。私の心境はぐちゃぐちゃだった。父母のケンカがひどくなり家庭環境が悪化していて、友達だと思っていたクラスの男子から告白されて、女友達ともケンカが増えてうまくいかなくなっていって。

今思えば、むしろそっちの方を全部放り出してまで、先輩を掴むべきだったのに。私は、それを言い訳にして何もしなかった。

卒業式の日に動いたのは、先輩の方だった。先輩は、卒業生見送りの時、列を出てつかつかと私の前まで歩いてきた。良く晴れた春の日で、白と赤のリボンが腰のあたりで揺れていた。顔が正面から見られなくて、私はそんなところを見ていたのだと思う。

先輩は「色々ありがとう。部活、3年になっても頑張ってな」と、私の前で言った。そのとき、先輩に手を差し出されて、私はその手をとった。

私がなにを言ったのかはあまり覚えていない。高校でも頑張ってくださいとか、そんなことを言ったような気がするけれど。あまりの衝撃に頭が停止していて、間抜けな顔をして間抜けなことしか言えなかったと思う。

先輩は、近くに同じ部の子がいたけれど、私にだけ握手とそんなあいさつをして、去っていった。

こうして改めて書いてみて思った。こんなの、忘れられるわけがない。

この歳になって思えば、先輩も多分、それなりに私を気にしてくれていたんだろうなと分かる。いや、分かるのではなく、それを少し素直に認められるようになった。

先輩から、翌日学校で言えば良いような意味のない連絡電話をかけてきたことが何度かあって、たどたどしい会話をしたこともあった。

お節介な私の友達集団が「あの子のことどう思ってるんですか~?」と聞いてくれたこともあって(というか、勝手に聞きに行った)、そのとき先輩は「可愛いと思ってる」と返事をしたと言っていた。

私は、今までの人生、自分から積極的に死に近づいたり、ボロボロになりながらも、それでも割と好きなように、好きなことをやってきたと思う。

なのに。どうして先輩に最後に「好きでした」だけが、言えなかったんだろう。「同窓会で、昔の恋が……」なんて言うけれど、それでは意味がない。今、言っても、伝えても、何の意味もない。あのとき、中学2年生の私が「好き」と伝える必要が、どうしてもあった。あのとき、言わなくてはいけなかった。

ちゃんと「好き」からはじめておけば、先輩との恋が、いくら最悪な終わり方をしたとしても、きちんと「終わり」にできたのに。私には、それができなかった。

このはじまりも終わりもしなかった恋の後悔と思い出は、この先もきっと、一定のぬるく甘い温度と鈍い光を持ちながら、刺さるほど鋭く残る。

痛みを伴う記憶でも、それが完全に消えないことがほんのすこし嬉しくて、でもどうしようもなく切なく思う夜を、私はこれからまた何度も繰り返すのだろう。












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