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世界の仕組みを超えて

高校の時に、友だちからあるバンドのCDを借りた。今の時代の高校生は、漫画やDVD、CDの貸し借りなんてしないのだろうか。通っていた高校は女子高でかなり厳しくバイトが禁じられていて、さらに私の家は、本以外のものはほとんど「有害だから」という理由で買ってもらえなかったので、友だちがそうして貸してくれる色々がとても有難かった。

彼女に教えてもらったことがきっかけで、私は、そのバンドと出会った。物語のような歌詞、疾走感のあるサウンド、散りばめられた繊細な言葉、時に心の核を突くような鋭さ。私は、彼らの音楽に夢中になって、何度も何度も聞いた。裏庭でも、川の近くでも、車の中でも、電車の中でも、お風呂でもとにかく常に聞いていた。

バンドのライブに初めて行ったのは、大学1年生の頃。今はもう一切交流のないAくんとA子だけれど、私たち3人は、そのバンドが好きというきっかけで急接近した。「同じバンドが好き!」それだけの理由で大親友になれた、そういう甘く青く、若くてなにもかもが楽しい時代であった。

大学のそばの小さなホール、ほぼ最前列といえる場所で、私とA子は初めて彼らを見て、生の彼らの音楽に触れた。白い煙の向こうに見えた姿、「彼らは本当に存在してるんだ!」という夢が突然、目の前でリアルになった驚き。19歳の私には、あれほど興奮して感動したことはなかった。あまりの興奮と感動で、笑いながら泣いていた。永遠に、死ぬまでこの瞬間が終わらなければいいと思った。

泣いていたのは、私だけじゃなく、周りのお客さんも何人か泣いていた。噛みしめるように、抱きしめるように、彼らのことを熱い瞳で見て、涙を流していた。

彼らが参加する夏フェスにもライブなれしている都会っ子のAくんに誘われて、A子と一緒に出掛けて行った。夕方、空が暗くなりかけた頃に歌い始めた彼らの姿、「ちょっと風邪気味で……声出てなかったらごめんな!」とかすれ声で話した横山健のかっこよさと、EGO-WRAPPIN'の甘く、でも強くビリビリと響くような歌声は、今も特に濃く覚えている。

しかし、大学の卒業後、AくんやA子と距離ができはじめた頃、私は彼らの音楽とも距離を置くようになっていった。その当時、彼らの音楽は、少しずつ変わり始めていた。その変化は、彼ら自身も自覚していたところがあったようだけれど、その変化に、一部の私のようなファンは過敏に反応した。中には「裏切られた」と感じていた人たちもいたようだった。

彼らは「自分たちの音楽を聞いてくれる人たちは常に大切に思っているし、音楽に対する根柢の大事なところは変わっていない」と話していた。彼らは、嘘なんてついていなくて、実際に、それは、そうだったのだと思う。

それでも、私は次第に、彼らの音楽を聞かなくなった。彼らと一対一で繋がっているように思っていた音楽が、少しずつ「彼ら対私を含む多数の人」になって、ぼんやりと薄く、遠くなった気がして。聞くことが、自分に必要ではなくなっていった。その頃の私は精神的にもかなり悪い状態で、彼らのものはおろか、他の音楽もほとんど聞けなくなっていった。

心身が回復し始めた頃、最初にアルバムの曲を丸々1枚分、ちゃんと聞いたのは、やっぱり彼らの曲だった。1番楽しかった時代に聞いた曲、悲しい夜すがるように繰り返し聞いた曲、どれも細胞の部屋の1つ1つに染み入るようだった。そこからまた、彼らの歌を聞くようになった。

それでも、聞かなかった数年の間と最近の曲は、どこか自分にはなじまない気がしてしまって、少し構えてしまう。新曲が出る度に聞いても、昔のような衝撃は残念ながら感じなくなっている。それは、もうどうしようもないことで仕方ないことなのだと、前々からぼんやりとは考えていたけれど、最近、彼らも私も、変わったのだとやっとちゃんと受け入れられるようになった。

Aくん、A子、CDを貸してくれた友だちとも、疎遠になってしまった。時代も、人も変わるのだから、人が生む音楽も、その時代に求められる音楽も、変わっていくものなのだろう。

最近、仕事がまったくなく、渋々ながら苦手な小説を書きはじめた。それこそ、昔はこうではなかったのだ。学生時代、本を読むときと同じように、書くとなったら、ぐっと創作の世界に入っていけた。泳ぐように、踊るように、その世界を作り、歩いて、触れられそうなほど近くで見ることができた。

それが、今は、もうできなくなっている。病気をしたせいか、年をとって感受性が落ちたせいか、成長したのか退化したのか、理由は全然分からない。書く時の姿勢が、全く変わってしまった。小説家になりたいくせに、どうしてこんなにも物語を書くことが辛く苦しいのだろうと思う。

でも、それでも私自身がやらなければ私の物語はいつまでも出来上がらないのだ。小説家になれないまま死ぬことが、何よりも1番怖く悲しいと思っている内は、あがいていたいとも思う。だから、好きな作家の小説を丸写しして文章のテンポを学んでみたり、音読してみたり、読み方・書き方を変えながら、どうにか向き合っている。昔とはやり方を変えて、戦って行くしかない。その結果生まれるものが昔、理想としていたものとは違っても。

仮に病気をしていなかったとしても、私は生きている以上、10代からアラフォーまで、どこも変わらずにはいられなかっただろう。どんなに変わらないように努力しても、どこかはズレたり、どうしても変わっていく。この世界では、何年も何年も変わらないでいることは許されていない。世界とか人間の人生は、ほとんど全部、きっとそういう仕組みになっているのだと思う。

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