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「良い子」じゃない僕のこと

市松の性格が、ようやく分かってきた。好奇心旺盛だけれど少し遠慮がちで臆病なところがあって、甘え下手。そして、初対面の人間に不思議と物怖じせず、ご挨拶できる人間好きな猫。

大きな声で言わなくても落ち着いた声で「ダメ」と言えば、基本的に同じイタズラをしつこく繰り返すことはない。トイレも、これまで一度も失敗していない。好き嫌いもなく、出したものはなんでもガツガツ食べてくれる。

多分、市松はかなり飼いやすい猫だと思う。年齢を重ねると問題行動が出る場合もあると聞くから、あくまで「今のところ」という話だけれど。

だから、私は1日の内に何度も彼に「良い子だね」と言う。頭や首の後ろ、顎の辺り、なだらかで柔らかい背中を優しい気持ちで撫でながら。

ただ、「良い子」という言葉が、必ずしも放った相手に、プラスに作用するものではないと、私は思い知らされたことがある。

前職の施設で、私はある男の子と出会った。彼の名前は、仮名で「正樹くん」ということにする。彼は、他人とのコミュニケーションに難があり、特に同年代の子どもたちとの会話を苦手としていた。大人との会話は割と好きな方で、趣味の話やゲームの話、今ハマっていること(宇宙、パソコン、海の生物など)、家のことなど、気が向けば自分からよく話してくれた。

私が子ども時代好きだったゲームの最新作を正樹くんがプレイしていて、そんな気軽な話もよくした。「私が子どもの頃は、ゲームの画面が白黒だった」と言うと、「ありえへん!」「何時代やねん!」とか笑う子が多かったのだけど、彼は「そうなんだ。そこから、カラーになってびっくりしたでしょ?」という子で。正樹くんは、一度きっちりと相手の話を受け止めて、ちゃんと感想や思いを言葉にできる子だった。

落ち着いていて自分を受け入れてくれる環境・相手であれば、彼は伸び伸びと自分と表現できたし、素直に相手の言葉も受け入れることができた。

ただ、彼が彼らしくいられる場所や相手は、ごく限られていて。正樹くんは、毎日ものすごいストレスを感じていた。そのせいで、年を重ねるごとに、成長したところももちろんあったけれど、しんどさや生きづらさも強く感じているようだった。

施設で働く私たち職員は、彼と向き合い、ゆっくりを話を聞いてあげることに専念しようとした。けれど、理事長の考えで利用者がどんどん増やされていき、職員1人あたりの担当する子が1人から、最低2人・最大4人となり、次第に正樹くんとじっくり話し合う余裕がなくなっていった。

こういう施設では、手のかからない子ほど放っておかれることが多い。正樹くんは知的にはほとんど問題がなく、パニックさえ起こさなければ手もかからず、1人で勉強をしたり、本を読んで静かにしていることができる子だった。だから、他害行為が多い子とセットで組まされることが多く、正樹くんの担当になった職員は、他害行為が多い子につきっきりになり、ほとんど正樹くんと話をする時間も持てなくなっていった。

そして、一部の職員は、他害行為がなく、問題を起こさず静かにしている彼に、必要以上に何度も「良い子」という言葉をかけるようになった。それが彼の中で、嫌な重さをもって、着々と積み重なっていたことに、私も気づけなかった。

ある日、正樹くんがひどいパニック状態になり、彼と長年付き合いがある年配の女性職員の1人が「正樹くんは、良い子やろ?もう大丈夫やから落ち着こう」と、その場をおさめようとした。しかし、その職員の声掛けでは止められず、彼は余計混乱したので、私が交代することに。彼が投げたり、蹴ったりすると危険なものをすべてどけ、2人きりで小部屋にいた。

正樹くんは、一通り暴れて大声を出すと落ち着き、ぽつりぽつりと話し始めた。「〇〇さんたちは(年配の職員たち)、良い子の僕しか好きじゃない。『良い子』なんて言葉は嫌いだ。僕は、いつも良い子でなんかいられない。だって、僕は良い子なんかじゃないから」そう言って、静かに泣き始めた。「良い子じゃない僕が、ほんとの僕なんだ」と。

彼が絞り出した声に、私の心は苦く掴まれ、そのまま潰れるかと思った。

正樹くんとは、彼が小6くらいの頃に出会ったのだけど、年配の職員たちは、彼が小学生低学年の頃から10年近く、息子のように孫のように正樹くんを可愛がってきた。「正樹くんは、良い子やろ」という言葉も、良かれと思って、放ったものだったと思う。けれど、それは彼が求めていた言葉ではなかった。

色々な事情で家庭にも学校にも居場所が無かった彼は、せめてここ(うちの施設)では、ありのままの自分を受け入れて欲しいと願っていたのだと思う。

私は、職員ミーティングで彼の言葉を職員全員に伝えた。けれど、そこで、ものすごいショックを受けた。

私と一部の職員は、正樹くんの心の叫びと嘆きを理解し、胸を痛めていたのだけど、彼を長年見てきた理事長と年配の職員たちは一様に「何言ってるんや。『良い子の正樹くん』しか好きじゃない。そんなの当然やろ?」と言ったのだ。

正樹くんは、きっと分かっていたのだと思う。理事長はじめ、付き合いの長い職員たちが、自分の本音を理解してくれないということを。

私たちは、彼の気持ちができる限り伝わるよう、正樹くんがどういう形で傷ついていて、どんな言葉や場所を求めているかを話したのだけれど、理事長たちは「?顔」で、理解できないようだった。

理事長の「『ありのまま』を受け入れて欲しいなんて都合がよすぎる」という言葉が、そのミーティングでの最後の発言だった。

それからしばらくして、正樹くんは、うちの施設の利用をやめてしまった。パニックを頻繁に起こすようになった彼を、理事長や年配の職員たちは、「もう理解できない」と突き放し、距離をとっていた。「やめてくれて結構!こっちからお断りや!」と理事長は、いつもの調子で強気なことを言っていたけれど、それは違うと思った。

お断りされたのは、私たちの方。私たちを信頼してくれていた彼を落胆させ、私たちは、彼に見限られたのだ。

彼の最後の利用日、「いろいろなこと話したね。正樹くんの言葉や話したこと、忘れないよ」と私が伝えると、「うん」と彼は、照れくさそうに笑った。背も私よりすっかり高くなり、顔つきも大人に近づいていたけれど、その時の笑顔に、初めて会った時の可愛らしい笑顔が、ドラマの演出みたいに、ふわっと重なって切なかった。

前職で、こういった別れは何度もあり、その度にこう思った。これがドラマならば、作り話ならばどれほど切なくても、どんなに悲しくてもいいのに。どうしてこういう別れが、いちいちいつも現実なのだろう、と。

市松は、「良い子ね」と言って撫でると目を細めて、ぐるぐると鳴く。けれど、正樹くんのことを思い出して、最近は「良い子ね」の後に、「でも、良い子じゃなくても好きよ。たまに、めちゃくちゃイタズラしてもいいよ。けがしない程度にね」と付け加えている。市松にとっては、ものすごくどうでもいい話なのだと思うけれど、私にとっては、とても重要なことだから。

そういえば、正樹くんは、猫が好きだった。自由で温かくて、好きだと言っていた。年々難しい表情をすることが増えた正樹くんだったけれど、彼の今の人生が、自由で温かなものであるようにと願う。

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