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精神科入院と紫煙のゆくえ

1年ほど前、精神科病棟に入院した。
私はうつ病を患っており、当時の病状はもちろん芳しくなかった。


社会を構成するすべての要素が怖くてたまらなかった。
雑踏は私へと侵攻してくる兵たちの足音に思えたし、会話はもう聞き取ることを諦めていたが確実に私を嘲笑しているのだと思っていた。
かつて私を支えてくれていた音楽たちも遠く思えた。きっとこんな精神状態で聴いてしまうとその曲に嫌な思いをさせてしまうだろうなと思って申し訳ない気持ちがしていた。

煙草を吸った。
亡き祖父の愛した銘柄だった。祖父に会いたかった。会いに行きたかった。だんだん短くなってゆく煙草が私のいのちだと思った。短くなるうちは生きている、死に急ごうと馬鹿なことをしている、だから吸った。

祖父はPeaceを愛していた。くも膜下出血で亡くなった。


家族に連れられて海辺の病院へ向かうことになった。
その頃の私には家族というものが家族だと理解するのも難しかった。病院に着く前に煙草を買った。祖父の銘柄はなかった。味も思い出せないくらいに苦しかった。

海辺は春というにはすこし早かった。
手荷物検査があった。
煙草は没収された。
身体拘束云々の書面に同意させられた。
もしも人間でなくなったときには人間でない処遇をいたします、ということなんだなと思った。

結果的に身体拘束は行われなかった。


SARS-CoV-2の影響で当面完全隔離となった。
病室から一歩も出ることを許されなかった。
看護師は全身を防護服で覆っていた。淡々と食事提供と検査だけこなして去っていくだけだった。


全てから隔絶されていた。
社会はもちろん、当時の私のいのちを計っていた煙草からも。


もう死人とも会話できないのか。
孤独であった。
馬鹿みたいに早く病室の灯りは消えた。


せめて人間らしく生かせてくれ、と叫びたかった。叫んだら人間ではなくなると思って叫べなかった。


あの部屋でどう過ごしていたかは思い出せない。
やがて病室移動となった。
テレビがあった。つまらなかった。
海が見えた。窓は10cmほどしか開かなかった。どこかで鳴いている鳥が羨ましかった。


散歩が許された。
海には行かないでください、と強く言われた。なるほどと思った。
煙草を吸いたいと馬鹿正直に主治医に訴えると、全面禁煙だからと断られたが、どういうわけか散歩のときに吸ってらっしゃる患者様もいらっしゃるようですよ、などとこぼしてくれた。
田畑しかない道を煙草を探して歩いた。いや、走った。走る力がある自分に驚いた。
やっとのことで、すこし大きな道路に古い煙草屋を見つけた。
祖父の銘柄はなかった。

マルボロ。美味しかった


その後の日々は単純だった。
1日のうちにわずかに与えられる散歩の時間を、屋外での喫煙に費やした。
煙草を忍ばせて病室を抜けるとき、子供のいたずら心のようなものを感じていた。


空がだんだん綺麗に感じられるようになった。
鳥を見つけられるようになった。
桜が開きはじめていた。
毎日毎日、銘柄は違えど祖父と会話していた。

歌を詠んだ。言葉が少しずつ意味を持つようになった。
やがて交代で介助してくれる夜勤の看護師と会話をして、その看護師に歌を贈った。面倒な患者だったろうに、喜んでくれていた。

ペンでノートに書く行為が久しぶりだった。書かないと字は汚くなるものだ。


病棟の談話室にはさまざまなものが残されていた。
この病院を去っていった患者のものだと教えてくれた。
丁寧な切り絵や、褪せた本があった。


退院の日を迎えた。
私がこの病棟に残すものは歌にした。


迎えに来た家族に対して一番に煙草が吸いたいと言った。
馬鹿だな、と自分でも思った。

祖父の銘柄を吸った。


馬鹿でもいいからもう少し生きてみなさいと祖父に諭されたような気がした。
紫煙は青空にとけていった。祖父は笑っていた。

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