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自分の価値は「痩せている」ことだった。摂食障害を乗り越えた先の景色。その「痩せたい」は誰の声?

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個性を必死で探した結果、たどり着いたのは「痩せる」という行為だった。「〇〇じゃないと価値がない」という呪縛を解いてくれたのは母のある一言。摂食障害を乗り越えた後の、わたしの世界。

※以下の文章には摂食障害に関する記述があります。

本人提供。ディズニーランドにて

朝が来た。私のお腹は鳴っているが、まだ食べてはいけない。

なぜなら私の食事は1日2回、12時から20時までの間に摂ると決まっているからだ。
食べる順番も必ずサラダからと決まっている。

お腹が空いているから気軽に間食なんてありえない。「味見して」と炭水化物を一口渡された時には「ふざけるな」という気持ちになる。

そして、食事が終わった後には必ず行わなければならない儀式がある。

今食べたものを全て吐くことだ。

「全ての決まりを守らないと太る、醜い自分に戻ってしまう」
そう信じていた。

きっかけは周りの「丸くなったね」

私が自分の体を気にし始めるようになったのは、高校生の時だった。
高校受験が終わり、以前よりも体重が増えたという自覚はあったが、初めはそんなに気にしていなかった。

しかし、知り合いに「丸くなったね」と言われることが多くなり、次第に自分の体を恥ずかしく思うようになっていった。

そんな中で起こったパンデミック。自粛期間の開始と共に、私はダイエットをスタートした。

初めに行ったのは、有酸素運動や筋トレを取り入れたダイエットだったが、それでは体重が落ちる気配はない。
「自粛期間明けの、身体測定までには何キロか痩せていたい」と思った私は、付け焼き刃で食事量を減らし、過去にファッション雑誌で見た、豆腐だけを食べる生活を始めた。

びっくりするほどスルッと落ちていく体重。凄く嬉しかった。

一方で、元の食事に戻して再び体重が元に戻っていくことに恐怖を感じるようになった。私は更に、インスタグラムやツイッターで見た様々なダイエット方法を試し始めた。

しかし、ダイエットをすればするほど、過食が止められなくなっていった。

イメージ画像。写真=Unsplash

摂食障害の沼へ

「それ、みんなで食べようと作っておいたのに」大皿に盛られた、2〜3人前の焼きうどんが空になった後、母親にそう言われた。

自分はなんて意志が弱いんだ。自分をコントロール出来ない怒りや(拒食の反動による)過食を止められないことを家族に理解してもらえない悲しみなど、色々な感情がごちゃ混ぜだった。

そんな中、ふと、あることを思いつく。
「今食べたもの吐いてみよう、そうしたら太らないかも」
そうして私は過食した時だけ食べたものを吐き出すようにして、ダイエット期間で落とした体重をキープしていた。

それから何ヶ月か経った頃、「吐く」という行為を減量に使うようになり始めた。

Twitterで「生理がきてる奴はデブ」「BMI16以上ある奴に人権ない」というツイートを見たことがきっかけだ。

私自身に当てられたツイートではなかったものの、私は「痩せていないと駄目」という価値観を刷り込まれていった。

「痩せないと」

そこから私の食事には、12時から20時までの間の2食だけ、食べる順番は必ずサラダから、食べたら全てを吐くなどの、沢山のルールが課せられるようになった。

中でも「吐く」というダイエットは、魔法のようなものだった。好きな物を食べることができるのに、体重が増えない。最初は気分が高揚した。しかし、吐くダイエットが続けば続くほど、心も体もすり減っていった。

気がつけば、「太ったらどうしよう」しか考えられなくなった。狂ったように1日に何度も体重計に乗り、100gでも太っていたら水ですら吐き出した。薬も服用していたが、薬にもカロリーがあると知ってからは、吐き出すようになっていた。

いつの間にか生理は来なくなり、BMIもとっくに16を切っていた。立ち上がろうとしても力が入らず、髪の毛は触るだけで沢山抜けた。それでもまだ鏡に映る自分はデブだと感じた。

イメージ画像。写真=Unsplash

価値を探してたどり着いた「痩せること」

なぜ、ここまで自分を追い込んでしまったのだろうか。
背景にあったのは、「自分には価値がない」という思いだった。

中学生の時、周りの子は可愛かったり、頭が良かったり、面白かったりと個性があるのに対して、自分には何も個性がないと感じていた。そこで、ある会社のモデル研究生として活動し始めた。

それによって、学校での自分はモデルというステータスを持っていると思い込むことが出来た。しかし、他のモデルに比べると自分は個性がないし、可愛くない。 皆が同じ、モデルというステータスを持っている環境の中では、「私は何者にもなれない」と思っていた。

何か私の価値を見いだせることはないだろうか。

受験期に入ったこともあり、今度はInstagramで勉強垢をスタートしてみた。たまたまその勉強垢がバズり、フォロワーが2万人を超えた。

「これが私の価値なんだ」

そう思った。しかし、当時私と似たような勉強垢を運営している人たちの多くには、勉強時間を競い合ったり、投稿内容を一緒に企画するペアがいた。それにもかかわらず、私にはペアを組めるほど仲の良い子もいないし、有名になるほどアンチも増えていった。

「ここでも私は必要とされていない」と思うようになり、結局私は勉強垢も辞めてしまった。

私には誇れるものが何もないという虚しさだけが残った。

個性がない、かわいくない、ペアがいない、何もない私は価値がない。私の役割は何?私って何?必死で自分の価値を見出す何かを探した結果、最後に辿り着いたのが痩せることだったのだと思う。

痩せたら、Twitterでは可愛いって言ってもらえる。
痩せたら、大人に心配してもらえる。

でも痩せていなければ、価値のない私のことは誰も見てくれない。

そう思っていた私は、痩せれば痩せるほど後に引けなくなっていった。

呪縛を解いてくれたのは...

「〇〇じゃないと価値がない」という呪縛を解いてくれたのは、母からの一言だった。

「どんな姿でも私の娘だからね」

この言葉を理解した瞬間、全ての鎖が溶けたように感じた。価値がないと誰にも認めて貰えないと思っていた私を、母はずっと娘だと思ってくれていたのだ。

その事実は、「どんな自分でもいいかもしれない」と思えるきっかけになってくれた。

ここから私は摂食障害を克服することを決めた。
まずは体重計に乗るのをやめ、自分に課していた沢山のルールとも少しずつお別れしていった。

自分の食べる量が分からずパニックになることもあった。脚の太さがだんだん元に戻っていく過程は、形容しがたい喪失感があった。

しかし、自分の体に必要な栄養を補ってあげることで、少しずつ自分の価値観に変化が訪れていった。

摂食障害を克服した後の世界

摂食障害を克服する前の私は、自分のことも他人のことも、痩せているか痩せてないかでしか判断できなかった。

一つの角度からしか物事を見ることが出来なかったため、誰かの優しさにも気づけなかったし、自分のことも認めてあげられなかった。

また、人間の体は飢餓状態になると、​​食べ物のことで頭が埋め尽くされるようになり、「食べ物中毒」に陥ってしまう。そのため私は、「太ってはダメだ」と自分に言い聞かせる一方で、一日中食べ物のことばかりを考えていた。

「痩せている、太っている」「食べたい、食べてはいけない」頭の中にはそれだけしかなかった。そんな私が、今では信じられないぐらい色々なことを考えられている。

体が元に戻っていくにつれ、趣味や好きだったものを少しずつ思い出し、新しい価値観が私の中に吸収されていった。

視点が色々な方向に向くようになり、以前よりも格段に生きやすくなった。常に細い糸を綱渡りしているような窮屈さから開放され、今では、良い面も悪い面も含めて自分なんだと思えるようになった。これは、たくさんの価値観の糸で作った布団に包まれてるような感覚だ。

本人作成

痩せることが全てじゃない

私たちは常に、テレビやSNS、様々なところで「痩せている=美しい」というメッセージを受け取っている。まるで痩せていないと価値がないかのように。

しかし、私は声を大にして言いたい。痩せることだけが全てじゃない。

社会が決めている「美しい」という非常に狭い基準に囚われなくていい。十人十色、みんな個性があっていいのだ。

理想の体型になるために、今を蔑ろにしないで欲しい。私たちは痩せるために生きているわけじゃない。

自分自身を飢餓状態にまで追い込んで「痩せている」というステータスを手に入れるよりも、自分が1番心地よく感じられる状態で毎日を過ごす方が、幸せなのではないだろうか。

それでも痩せたいと思う人もいるかもしれない。そう思っている人は、その「痩せたい」は社会にそう思わされていないか、もう一度考え直してみてほしい。

しかし、わたしが「どんな自分でもいいかもしれない」と思えるようになっても、世間一般の「美しい」の基準が変わったわけではない。

新しい環境で知り合った人から「痩せてるね」が褒め言葉として自分に向けられた時、大学の先生までもが「痩せなきゃ」と言っているのを聞いた時は、自信がなくなっていくこともある。

でも、世間一般の美の基準に隷従したいのか?と言われると、決してそんなことはない。

既存の価値観や基準に自分を決められてたまるもんか。痩せてなくても、何も持っていなくても、私たちは生まれた瞬間から価値があるのだ。

そうやって、私が声を上げることで、世界が0.00…1%でも変わるのなら、私はこの美の基準に抗いたい。そしていつかはこの基準を壊したい。

それが私も私の大切な人も生きやすくなる第一歩だから。

摂食障害に悩んでいる方へ:
摂食障害 | 知ることから始めよう みんなのメンタルヘルス(厚生労働省)


執筆者:金井薔那奈/Kanei Banana
編集者:原野百々恵/Momoe Harano、三井滉大/Mitsui Kodai


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