ポーランド旅行1日目 クラコフ(Krakow)編
8/25(日)現地時間 21:54
Servus!
現在ポーランドでUrlaub中の鳥海です。
移動日から初日にまでを振り返りながら、記録していきたいと思います。
それでは、どうぞ。
Flixbusについて
まず、
FlixBusの通路側は座らない方がいい。
同じ同乗している体が通路よりデカい人が、何回もぶつかってくる。
寝たいのに、起こされるし、一言も無い。
ムカつくな。
見てくれている皆さんには、窓側を100パーセント勧める。
FLIXBUSのWifiを期待していた自分も馬鹿だったが、Wifi存在するも通信がクソがつくほど遅い。結局自分の電波を使う羽目に。
ドイツからチェコに入った途端電波が無くなる。同時に、通信容量の制限が来る。
本当に誤算だらけだ。
まぁ。旅とはこんなもん。
これを楽しめるくらいにならんとな。
ポーランド到着 〜カトヴィス編〜
もうここから、携帯無しの行動が余儀なくされる。
久しぶりに8時間寝れたし、体と頭は調子良い。
ポーランドのカトヴィス(Katowice)に到着。
みんな英語を話せるかと思ったけど、全く話せん。10人中3人が英語で質問すると、英語での返答がある。それ以外の人たちは、ボディランゲージとポーランド語をガッツリ話す。
観光地でないとこれだけの差があるのかと。
カルチャーショックを受けた。
とりあえず色んな人に聞いて、なんとか電車に乗れた。
電車が出発して、駅員さんが電車内でチケット確認を行う。
電波がないのでチケットを見せれるか不安だったが、チケットは提示することが出来た。
しかし、乗っている電車と買ったチケットが違う事が判明。
その駅員さんの女性に今の経緯を全て話して、何もすることが出来ないことを伝える。
携帯の電波が無いので、オンラインでも支払い出来ず(これは実は出来た。あとあと知った。)ユーロもまだ換金してないので、何も出来ないと正直に伝えたら、今回はおそらく見逃してくれた。
その次のポーランド人の人が、おそらく何かをしでかしていて、罰金か、新しいチケットを買う羽目になっていた。
俺ラッキー。
ポーランドの電車は、クーラー効いてて涼しく過ごせる。なんなら、少し寒い。持ってきた上着のチャックを閉めるほどだ。ドイツの電車は全くクーラー効いてないから、ほんとに汗だくになる。
ここの電車もドイツ電車(DB)同様に、Wifiが車内に飛んでいるかと思っていたが、それはおそらくドイツだけのようだ。
DBに感謝する日が来るとは。
緊急でポケットWifiか、Simを買わなければならない。。。
すごい誤算だ。
そして、ポーランド電車内の流れてくる映像は残酷だ。
おれが確かに見たのは、運転者が運転しながら携帯を触っているシーンだった。子供が後部座席にいるのにもかかわらず。
ここはドイツと同じで、線路に入るときは一時停止をしなくて良いルールらしい。
運転者が携帯をイジっており、電車が来ているのに気づかなくて、運転者の車と電車が激突。
運転者だけ死亡。子供はなんとか生存する。
これもなんだかおかしい気がするが。
まぁ、無惨な光景だ。
しかし、この映像が4分に1回流れる。
おそらくこのような事故がポーランドでは多いのだろう。
朝なのに。もう心が痛い。
英語のダウンロードしてきたポッドキャストを聴きながら、車窓を楽しんでいる。
これは最高だ。
いや、車窓が風景が白黒森すぎて退屈だ。
田舎の田んぼって感じ。
あ、電車が上手く動いていない。
7:42 到着時間のはずなのに、まだ半分のところにいる。何が起きてるかは分からない。
ここでイライラしても何も起こらないので、気長に待ってみる。
今回は時間に余裕持った旅をしている。
これも勉強だ。
朝からついているのか、ついていないのか分からない。
07:55 いま後ろにいるポーランド人のおじさんに尋ねてみた。何故電車が止まっているか、
「先の駅にいる電車が動いてないらしい。
これは、滅多に起きない事だ。
私も仕事に遅れていると。笑」
40分遅れだ。くそっ。笑
とりあえず、ホストの人にも連絡がとれず
めちゃくちゃ迷惑をかけてしまっている。
誰とも連絡取れないし、マップさえ見れないの辛いな。
ひとまず、使い捨てSimカード探しから始めないとな。ヨーロッパどこでも使えるやつだな。
ポーランド物価安いから、高くなく購入は出来るはずだ。そこは懸念材料から消えるな。
最終的に50分遅れで目的地に到着した。
クラコフに到着後
今日のホストをしてくれる人の働いているお店まで行き、荷物を預けてもらい、朝ご飯をした。
そこで、日曜日は飲食店以外全てしまってるからSimカード買えないよ。と言われ。😭
今日だけWifi難民をするか。
と決心した。
ここの朝ごはんは重すぎず軽すぎず、今日の自分のお腹には丁度良かった。
トマトのガーリック焼きしたものと、外側にあるヨーグルトをかき混ぜて、パンや目玉焼きに乗っけて食べるそうだ。
朝食後、中央広場を探索し、様々な教会へ行ってみた。今日が日曜日ってこともあり、様々な場所で祈りが捧げられていた。僕も興味があったので、10分間だけ同じ場所に居留まろうと思ったが、だんだんと気分が滅入ってきてしまい、5分経たずして断念した。
おれにはキリスト教は合わないのかもしれない。
その後、Wawel Castleへ行ってみた。そこで昔何が行われていたなどの情報無しで入ってしまったので、ただ外観の景色と雰囲気だけを楽しむことに。
入ってみた感じ、立派なお城だった。あとあと調べた情報によると、各代々の王様が住んでいる/た、とのこと。坂道が多く、侵入までの経路も一つしかない。そして、丘の上にあるので、相手がどこから攻めてくるのかを360°全ての角度から見渡せることができる。どこから相手が攻めてこようが、角度があり相手は攻撃出来ない。上にいるものだけが、鉄砲で攻撃出来る。小田原城と仕組みが少し似ていた。
流石、ここがワルシャワの前に都市(京都みたいな感じですね)であったのは理解が出来る。
立派な街だ。
午前中にこのビールを一缶だけ飲み干した。
日曜日の午前中から、ビールを飲むのはこういう機会でしか無い。時間感覚がとてもゆったりしている日曜日である。
味は、ホッピーに近いポップ感が少ないビールである。ドイツのビールとはほぼ真逆な物だったので、水が欲しかった自分にはちょうど良いポップ加減だった。
カジミエンツ編 ユダヤ人ghetto
午後は、ユダヤ人のghettoと言われている、Kazimierz へ行った。
そこは、昔ユダヤ人が住むだけの地域として壁もあったほど、制限されていた地域で近づいていった瞬間から、午前中いたクラカウ(Krakow)中心地と雰囲気と色彩感が全く違った。
つまり、Ghettoという言葉が1番しっくりくる殺風景感だった。
見てくれ。この色が茶色しかないこの暗くて思い雰囲気。色って気分も良くなくさせるから、本当に昔の人はそういう様な所から徹底的に、ユダヤ人を苦しめたかったんだろうな。と思う。
ここが、ユダヤ人の多くがポーランドに住んでいたそうで、世界第二次世界大戦時に、ここからもたくさんのユダヤ人がアウシュビッツへ送還されているとのこと。生き残ったユダヤ人は、返ってきてからまた殺害を受けていた。
この辺のことは、詳しく調べて無かったので情報がとても少なくなっている。
ミュージアムに行くまでの時間と労力が足らなかった。
興味ある方は、英語ならネットに出てくると思うので調べてみて欲しい。
少し賑わっている広場を見つけたので、観光客のみんなが食べている同じ物を注文して食べてみた。
食べている時に、隣にいた人に声をかけてみたら、オーストリア人でドイツ語でこの辺の事・彼のバカンスの話、この料理について詳しく話を聞いた。
この料理は、ユダヤ地域の伝統料理であったらしい。確かザピエカンキ(Zapiekanki)って名前だった気がする。これを観光客は両列を作ってまでも食べに来ている。
値段の割には、量も質も良かった。
皆さんにも是非お勧めしたい。
Caffeからのバンクシー
少し疲れてしまい、なにも行動を起こす気になれなかった為、雰囲気の良い小さいカフェに行くことに。
エアコン効いてて、Wifiあって最高だった。
そして、Googleでこの辺の地域について調べてたら、バンクシーミュージアムを急遽発見。
16:15 カフェを速攻でて、見学しにいくことに。
ここでは実際にイギリスやアメリカ、パレスチナ、ウクライナ等で描かれている絵を再現して、ミュージアム化している所だった。それなりに再現されていて、私的には大満足だった。
元々バンクシーには、興味があって社会問題をテーマに、それを面白可笑しく、そして時には皮肉的に絵を使って表現している画家である。
ビットコイン創業者のサトシナカモトみたく、バンクシーも誰なのかは誰も未だに分かっていない。
なるべくポーランドに来た際には、訪れて欲しいので、写真を撮ることは少なめにして、皆さんに少しだけ提供したいと思う。
個人的に、鳥肌が立ったり、気分が良くなくなった作品達だ。
そして、最後の締めにポーランドの郷土料理を食べて1日目は終了した。
もう心もお腹も思ひ出もお腹いっぱいになった。
30000歩(15km近く)近くあるいた。
13時間歩き続けたらそのくらいは行くだろう。
ふくらはぎが最後の方は攣りそうになっていた。
ホスト編
この後ホストが帰ってくる。
20:25 実はもうホストの家に鍵だけ渡されて、ゆっくりしている。
このホストの女性は、どれだけおれを信用しているんだ。日本人ガチャは本当に最強だと思う。ポーランドでも、トルコ同様に日本人は親日国家である。
ちなみに、彼女はポーランド人で、ドイツ語と英語をあとから学んだ自分と同じ境遇の人であった。
ポーランドに戻ってくる前にドイツには12年いたらしく、英語はこのカウチサーフィンを通じてだったり独学で習ったりということだ。
ドイツでFSJも幼稚園で行ってたらしく、なんだかここに来る事が運命かのようだ。
残念ながら、彼女は明日も1日仕事なので、話す時間は今日でおしまいだが、これからの関係性は続くと思うので、今後も大事にしていきたい。
明日はどんな1日になるだろうか。
楽しみで仕方ない。
それでは今日はここまでで🖐️
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