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標高3000Mからseason2~Vol.6【僕のこと、知ってる?①】

具体的な起業内容やビジョンについて。
自分は何を目指しているのかをここで。
JUGEM時代から見てくれている方や、SNSで興味を持ってくれている方、直接お話しさせていただいている方など知っている人は知っているかもしれないが、ここで改めて。


◇     ◇     ◇


バドミントンを生涯スポーツに

結論だ。
僕は、「バドミントンを生涯スポーツとして日本に定着させたい」。
そのために、高校を卒業してから1年と半年動いてきた。

バドミントンをする機会(体育、レジャー、部活など)は多いものの、競技として日本に定着しているかと問われるといまいちであると考える。

それは

①2名以上でなければ競技が成立しないという対人スポーツであること
→学生時代一緒に競技をやっていた人たちが、社会人になると都合をつけにくく、結果的に機会を失うこととなる。
→社会に出ると一緒にできるほどの同じ熱量のバドミントン好きになかなか出会えない。

②時間の余裕がない
→わざわざ道具を持ち運んで、時間をつくって、仕事帰りに移動して体育館に行って。短時間しか打てない上に、労力がかかりエンジョイにならない。

などが原因だと考える。



そこで

#起業資金と経験を貯める標高3000M住み込み旅 .で出会った山小屋をヒントにバドミントンが好きな人たちが自由に気兼ねなくこれる空間を作ろうと考えた。
山小屋は同じ登山が好きという人同士の出会いがある。
そこから連絡先交換をしたり、SNSで繋がったり、下界で飲む仲になったり。

聖地である必要はない。
山好きの秘密基地が山小屋だとしたら、僕はバドミントン好きの秘密基地を作りたい。

のである。



□     □     □


落雷による死亡事故


関係ないようだが大いに関係ある。
僕はこの件に関してブログ、その他のSNSでもあまり大きくは触れてこなかった。
僕が「こんなことがあったんです」と書いていいものなのかずっと考えてきた。
ただ、自分がやりたいことに向かっているなかで起きた、人が亡くなるということ。
それは、自分の将来のビジョンに大きく影響を与えたことは間違いがない。
時間が経った今日、ここには書かなくては、いけないことなのだ。

8月7日、その日も普通に働いていた。
夏山の時期だということもあり、夕立が増えていた。
前日に、他のスタッフとそろそろ死亡事故が起きるのではないかと話すほど、ゴロゴロと毎日、しっかりと夕立がきていた。
電話や受付での注意喚起をしっかりしていこうと話していた。


注意喚起
①特に夏は夕立による落雷の危険性が増す
②特に秋、冬は日が短くなり安全な視程が確保できない
③事故が起きた際に、リスクが増すことから小屋からも救助が行けない
このような理由で「山小屋には15:00迄に到着すること」をお願いする注意喚起をしていた。


午前中いや、昼頃だろうか。
自分は後に落雷の被害者になるグループの宿泊受付と後に落雷事故の第一発見者になる方の宿泊受付をした。
午後になって、自分は休憩に入った。
恐らく、事故の一時間ほど前ではなかっただろうか。
明らかにアウトな色のガスが北西から入ってきた。
いつもよりほんの少し早く入ってきた。

こりゃ来るな、そう思いながら小屋の中に戻った。
14:30頃、僕はお風呂に入った。
雨の音がした。
徐々に強まり、あっという間に滝のような雨になった。
ここまでは、いつも通りだった。


雷がなり始めた。
近づいてくる音。
3回目の雷だっただろうか。
人生で聞いた一番大きな雷だった。
他のスタッフに聞いたところ、自家発電している小屋の電気も揺らぐほどだったそうだ。
丁度、髪を洗っていた。

「今のは人に落ちたな。」
確信する雷だった。
自分は午前中、どれだけ受付をしてどれだけ間ノ岳ピストンに行っているか知っていた。
そして「15:00迄に帰ってきてくださいね」と言われルールを守って到着しようとしている人たちは、丁度小屋への稜線を歩いているところのはずだからだ。

位置関係がわからない人に向けて簡単な説明。
①水色辺りから登山を始めます。
②日本第二の高峰北岳。
③それを越えると自分のいる北岳山荘。
④Aはコースタイムで往復3時間。間ノ岳ピストンとはこのこと。日本第三の高峰間ノ岳に行く人も多い。


お風呂から上がった。
なんだかバタバタしていた。


14:55 お客様より稜線上にて落雷によって人が倒れているとの情報あり。


事故が起きてしまった。
まだ落雷の恐れがあったのでしばらく小屋からは、救助に出られなかった。
雷雲が抜け、救助に動けたのは一報から30分ほどが経過してからであった。

北岳山荘には隣接する昭和大学医学部の診療所がある。
夏、秋の繁忙期には学生や看護師、医師が常駐している。
幸い、学生と医師が常駐していた為にスタッフとともに現場に向かってくれた。
自分は小屋の無線の親機で現場と山荘と診療所を繋いでいた。
やり取りは全て分単位でメモ。
一つ一つを消防や警察や市役所などに報告もする。


15:38 現場へ向かって頂いた医師が死亡を確認。その趣旨の無線が入った。


亡くなった。
あまりにも呆気なかった。
つい数時間前に自分が話したと言うのに。

夕方にはヘリコプターが飛び全て終了した。
その日の夜、自分はいろいろ考えた。
「防げたことではなかったのか」
「注意喚起が甘かったのではないか」
「自分のせいで何人危険な目にさらしたか」
「お子さんを立派な大学生にまで育てられた親御さんの気持ちはどうなるんだ」
「なぜルールを守って好きなことを楽しんでいる人が救われないのか」
「ただ真面目に頑張っているのにその頑張りは報われないのか」
「世の中にはどれだけそういう人たちがいるのだろう」



甲府の街明かりが綺麗だった。
最後に思った。
「死亡事故が起きても街は何も変わらず、知らずにみんな生きている。それと同様に世の中には自分が気づけていない、誰にも知られず気づかれていない頑張りや、苦しみが溢れているのではないか」



□   □   □


死亡事故と自分

バドミントンを生涯スポーツとして日本に定着させたい
バドミントンが好きな人たちが自由に気兼ねなくこれる空間を作ろう
バドミントン好きの秘密基地を作りたい

そんな風に思ってきた。

しかし、今回の事故を含めた今年の死亡事故の数々から、

頑張る人の支えになりたい
自分の好きを大切にしてほしい
心の拠り所になりたい


「ルールを守って好きを楽しんでいる人たち、頑張っている人たちが 報われない/救われない/守られない 世の中は創りたくない。」


と思うようになってきたのだ。

落雷で割れた道標

標高3000Mから~Vol.1
標高3000Mから~Vol.2【ここにいる理由】
↑この機会に改めて見て頂けると嬉しいです

つづく

2019/09/19


カンボジアに学校を建てたり、愛で地球を救ったりはしませんが、貴方を見たことのない世界にちょっとだけ連れていけます。