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期待に応えすぎない


ひとりで過ごす時間が増えたことによって自然と培われたのは、『自分を認めてあげる力』なんじゃないかな。

そんなことを思って、最近過ごしている。


今までは、会社の人たちの目があり、出かけた先での人々の目があり、なにかしらの成果への評価をいただいたり。

「評価は周りがするもんだ」なんて言葉を耳したことがあるけれど、あまりにも評価を周りに委ねすぎていたようにも感じる。

仕事をしている上では、成果主義であって、評価されないことには意味がないのかもしれない。

それでもその人自身の価値観を否定するには、あまりにも雑な判断にも思える。


たくさんの目にさらされて、日々たくさんの評価を受ける側の意志に関係なく受け続けていく生活で、前に進むことや良い評価をもらうことでしか自分自身に価値を見出せなくなってしまうことがある。

きっと、こころが疲れてきた時に、そのサインが出る。

人と関わることが減ったことで、『いかに自分で自分を認めていくか』ということがすごく大切になってきている。

それは同時に『誰かの期待に応えない』ことの練習にもなる気がする。


いつだって、期待に応えたいと思ってしまう人は、それを成し遂げてこそようやく自分自身に意味や価値を感じる人が多い。
求められたことをする、できれば求められた以上のことを。

とある人にとっては、それは当たり前のことなのかもしれないけれど、それってすごいこと。
そして、仮にうまくできなかったとしても、それだけで自分に価値がなくなるわけじゃない。

それを忘れてしまうと、急にこころが疲れ果ててしまう。


できたこともあった。
できなかったこともあった。
まだ頑張りたいことも、もっと頑張れることもあった。

どんな1日だったとしても、頑張った自分をわたし自身が一番知ってる

今日もおつかれさま。




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