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適度な力で生きる、一生懸命じゃない生き方の話


わたし自身の基本設定は『ズボラ』である。

細かいことは苦手で、とりあえずやりながら考えようと思ってしまう。
もしくは、後々自分が面倒にならないように、日々できる範疇の、そのさらに内側の無理のないところで継続している。


真面目であることや、ストイックであること。
『一生懸命さ』というものは、評価される傾向にある。

もちろん、評価されることに反感は抱いていない。
評価されて然るべきだと思っているし、尊敬さえ感じている。
だけれど、そんな風になりたいとは思っていない。というよりも、ならなくてもいいかなぁ…という感じである。

それは結局のところ、継続する体力がないところに問題がある。

ひと昔は0か100かという、極端な感覚で一生懸命でHPが0になるまでは全速力生きていないと物足りなかった。
寝る直前にスイッチが勝手に切れてしまうような、寝る前にエネルギーが切れてしまう1日の過ごし方が好きだった。


だけれど、そんな日常の欠点は、体調を崩しやすかったり、体調を崩さないにしても全力を出し切れない日には自己嫌悪に陥ってしまったりと、100ではない日が受け入れがたい1日になってしまうことだった。

それに、体調を崩した後に全力の100%まで持ち直すのにもどうしても時間がかかってしまっていた。


そんな時から、継続できないことをするよりも、継続できることをしていこうと考えてみると『80%の力で生きていくこと』が自分の中でしっくりときた。

ものすごく調子がいい日でも全力を出すよりも温存をしておく。
できる時だけシャカリキとするのではなくて、毎日がバランスよくなるように生きるようになった。

いくら美味しいものでもお腹いっぱい食べてしまっては気持ち悪くなるみたいに、腹8分目のちょうどいい加減で食べるのをあえてやめるのがベスト。
それと同じように、毎日の生き方も80%くらいの加減がちょうどいい。

ただこれは、やる気を20%減らすという意味ではなく、力を20%抑えることで肩の力を抜いて生きるという感覚。

肩の力を抜く。
深呼吸をする。
リラックスをする。
頑張るだけではなく、その分気持ちもこころも休ませたり、余裕を持たせるそんな生き方。


でももちろん、時折100%の力を出すときもある。
旅行先でつい食べ過ぎてしまうような、8分目以上を無意識で食べてしまうように、「つい」頑張りすぎてしまうこともあれば、「つい」頑張りたくなってしまうこともある。

期間限定で頑張る必要が出てくることもあれば、習慣化するまで気合いを入れないといけないこともある。
それでも普段80%までの力を出せているならば、少しだけ踏ん張ってみると案外難しいことでもない。

これを0か100の状態では、0の時に100まで踏ん張らないといけない状況になる。
これは、本当にしんどい(そして、後々しわ寄せがやってくる)


人生において、大切なことの1つはバランス感覚だと思っている。

90%で深呼吸がしやすい人もいれば、50%の人もいる。
どの割合がおすすめというよりも、自分に合ったバランスを身につけると人生は格段と生きやすくなる。

それが100%全力で生きている人にとっては鼻につく場合もあるみたいだけれど、こころに余裕ができるバランスで生きているとさほど気にならない。
一生懸命生きていて、かつ周りの人に怒れる人はエネルギッシュだなぁ…と、別の生き物のように感じてしまうこともあって、これがさらに鼻につかれる場合もあるみたい(ごめんなさい)。


そんなわたしは8月の試験に向けて、最近は90%くらいの力を出して生きている。

これはあくまで、試験当日に100%を出すための助走に過ぎないと思っているので、呼吸がしにくくなる100%の力はまだまだ温存しながら、毎日をゆっくりと前進していく。



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