yokushiryoku

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最近の記事

俺が爺さんを助けた話

最後に投稿したのは・・・。 いつだったっけ。一個前のタイムスタンプを見ればわかるのだが、多分、今年の春に差し掛かったあたりだろう。 春夏は心が強い。今は、そう割り切ってもいる。攻撃力が強いのか、防御力が強いのか、両方か、また別のものなのかはわからない。 今年の夏は輝度が高い場面がいっぱいあって、その記憶はそのままの明るさで記憶されている。最も輝度が高い記憶は、吉祥寺の商店街で弾き語りの真 夏の果実を聴いた時のものだ。数秒聴いただけだったが。 先週の土曜日に、銀座のコ

    • 溶岩のトリセツ

      争いの重さの相対性を感じとって(例えば、そのコミュニティで他に争い事がないなら新規の争い事は一番重いということ)、小さなコミュニティで感情をフル回転させれば、感情の運動量ではそれなりに満たされる。 だが相対性にやってる以上は、争いの内容は雑に言えばどうでもいいのかもしれない。 上が一番小さい同一コミュニティでの話。 自分がだんだんと狡猾になってきたと感じて(あるいは、ヌルいと感じて)、より重い争い事を探し当て、コミュニティの拡大を目指すのは不自然ではない。 ただ、争いが

      • 現実の共有

        前回の投稿から一ヶ月が経っていた。大体午後3時頃に、鋭い孤独が毎日のように身体を流れていったのだから、いよいよ不味いなと思い始めていた頃だった。 冬は元々大の苦手で、毎年十月末くらいに暗澹たる気持ちに苛まれる。 三月中旬くらいにならないとそれは治まらず毎年の自己の課題になっている。しかし、今回は厳しかった。 その時期、孤独本(勝手に命名)を三冊購入したのだが、どれも面白かった。他の本を読んでいたのだが、完全にこの三冊に読書が優先された。それくらい元来、人間は孤独に耐えら

        • 落書きも侮れない

          街の落書きには、ネット上の投稿のようにタイムスタンプなどは見られない。書かれている絵や模様が提示する対象やそれの色あせ具合から時代を推察するしかない。 ふとした落書きに心を奪われることがある。 俺が今もたれている壁にはこう書かれている。 毎日が腐っていて 何の役にも立たない身体は泥水のように 手を伸ばすこともせず これが自分の運命だと 切腹する妄想ばかりを考えている ここで終わらせなければと 真夜中2時に起きる些細な勇気は あの頃恨んでいた大人が カ

        俺が爺さんを助けた話

          あーさみっ、わーさびっ、えっ、えっ

          日曜日の早朝に突然目覚めて、胃液が逆流してくる気配があり、その後何度かトイレに行った。その日の昼から、熱が出始めて、水曜日の朝まで体調が悪かった。 頭痛が長時間続くと、些細なことでも苛立つのがわかった。早急に物事を解決したいという態度になるのは、悪い感じではない。「向かっている」感じが痛みとして出るのは良い。もちろん頭は痛いのだから望みはしないが。 土曜日に行った、神保町のS書店で買ったブックカバーを偉く気に入っている。全体は白調で表には、ムーラン・ルージュの写真が

          あーさみっ、わーさびっ、えっ、えっ

          賢者としてのそれは、やはり留意するべきところだろう

          この記事は1時頃書いたものだがNoteのメンテナンスがあったため投稿は今となる。 風呂場でエルヴィンが散った。目的論的に世界を生きる彼の無念は大きい。進撃の巨人は、俺が観ている範囲で、死後の世界が一切描かれない。そうであるから、一層エルヴィンの死は酷だ。実は、自分は最も利己的だと吐露する場面は重みがある。たいてい自己目的に満ち溢れている「闘いの本性」を見破っていた彼は、間違いなく知性あるリーダーであった。最後にリヴァイの手を弾いたのが、利己的な意味に完結しているのも秀逸だ

          賢者としてのそれは、やはり留意するべきところだろう

          デビルマンみきちゃん問題

          アニメ版の進撃の巨人を見まくっている。現在、シーズン2の31話「戦士」の途中まで見た。喋るゴリラ型の巨人の登場は最悪だ。それまで、人間以外の動物を殺さない性質があったはずなのに。それが俺の中での巨人に対する期待を保っていたのだが。これでは、「巨人」の名の通りである。俺の中での兵士不在の馬が外の世界をのびのびと生きる想像が失われつつある。もっと言えば、それまでの巨人は全員がフラットに見えて幸せそうだったのに。なのでゴリラ型の巨人が、この先三話以内に完膚なきまでに倒されることを

          デビルマンみきちゃん問題

          雪の月

          勤務中にNHK+で伊藤沙莉が出ているあさイチを聴いていた。序盤で桑田佳祐の声がBGMとして流れていて一瞬で心を掴まれてしまい、序盤であさイチの再生を止めた。 検索すると、2016年に桑田佳祐名義で出している「若者の広場」という曲だった。それから暫く流していた。とてつもなく好きな曲調だから次第に、何故だと考えるようになった。引っかかるようなものがあり、誰か知っている人が流していたのか。そうして聴いてるうちに降りてきた。そうか、1981年に出された長渕剛の「夏の恋人」に曲調が

          クラフトビール的な

          日曜日に、柳通り沿いにあるクラフトビール専門店に行った。店内は昔見たバッドマンが戦闘前に赴く武器庫のような雰囲気であった。6畳くらいの暗い室内で、一方の壁の前に背の高い冷蔵庫が並んでいた。陳列されているビールは一つも見たことがなかった。 見渡していると、店員さんからなんでも聴いてくれと言われたのでダブルIPAはどれかを聴いた。説明を受けた後、「でも最初は皆さん見た目で選びますね。ジャケ買いのような感覚で。味は飲まないとわからないですからね。」と言われ、確かにそうだなと妙に

          クラフトビール的な

          初稿 「二番目の俺」

          浦安市に来た両親をいつもと違う道で、駅まで見送っている時に、大層なクリスマスツリーを目撃した。この投稿日のタイムスタンプは2月となっているはずだ。つまり2月に目撃したのだとはじめに伝えておきたい。 最初に母親が、見つけて驚いていた。俺は、その反応を見て二番目に驚いた。実際に足が向かったのも母親で、やはり俺は二番目に向かった。 これは、「クリスマスツリーにイルミネーションが施されています」と画像認識技術を持つAIなら、平読みで答えてくれるだろう。そういう代物だった。現代的

          初稿 「二番目の俺」