溶岩のトリセツ

争いの重さの相対性を感じとって(例えば、そのコミュニティで他に争い事がないなら新規の争い事は一番重いということ)、小さなコミュニティで感情をフル回転させれば、感情の運動量ではそれなりに満たされる。
だが相対性にやってる以上は、争いの内容は雑に言えばどうでもいいのかもしれない。

上が一番小さい同一コミュニティでの話。

自分がだんだんと狡猾になってきたと感じて(あるいは、ヌルいと感じて)、より重い争い事を探し当て、コミュニティの拡大を目指すのは不自然ではない。

ただ、争いが相対的なもの(雑にいえばどうでもいい)である限り、その内容を、火を起こした側は特に考えなくてはならないのだと思う。

例えば、単にここから抜け出したいという叫びが、どうでもいい争い事となって表現されることもあるのだから。

だけど、本当は素直な方が良いと思う。

だから、久しぶりにスタジオ行って叫んできた。


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