賢者としてのそれは、やはり留意するべきところだろう

 この記事は1時頃書いたものだがNoteのメンテナンスがあったため投稿は今となる。
 風呂場でエルヴィンが散った。目的論的に世界を生きる彼の無念は大きい。進撃の巨人は、俺が観ている範囲で、死後の世界が一切描かれない。そうであるから、一層エルヴィンの死は酷だ。実は、自分は最も利己的だと吐露する場面は重みがある。たいてい自己目的に満ち溢れている「闘いの本性」を見破っていた彼は、間違いなく知性あるリーダーであった。最後にリヴァイの手を弾いたのが、利己的な意味に完結しているのも秀逸だった。彼なき、調査兵団がどのように動いていくのか見物である。
 本日公開されたNetflixの金魚妻を3話の途中まで観た。篠原涼子と長谷川京子の濡れ場を観たくて少し前から、予告を観て期待していた。タワマンに住む女達の浮気を、ほぼオムニバス形式で描いていくのだが、そこでの登場人物達の会話や行動原理が意味に満ちていて醒めるというのが所感である。クズな男○○をしたから、不倫をする。といった条件ベースの物語に必要なのは、揺らぎ-----意味がないように一見見える予測不能なもの-----だと思うのだが今の所、それを感じることは出来なかった。ただ一つだけ、まだ、メインの話を観ていない長谷川京子の役回りは、その揺らぎかもしれない。
 金魚妻に関しての現段階の所感は、また変わるかもしれない。賢者(モード)としてのそれは、やはり留意するべきところだろう。


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