あーさみっ、わーさびっ、えっ、えっ

 日曜日の早朝に突然目覚めて、胃液が逆流してくる気配があり、その後何度かトイレに行った。その日の昼から、熱が出始めて、水曜日の朝まで体調が悪かった。
 頭痛が長時間続くと、些細なことでも苛立つのがわかった。早急に物事を解決したいという態度になるのは、悪い感じではない。「向かっている」感じが痛みとして出るのは良い。もちろん頭は痛いのだから望みはしないが。
 
 土曜日に行った、神保町のS書店で買ったブックカバーを偉く気に入っている。全体は白調で表には、ムーラン・ルージュの写真が染められている。見た目も手触りも良くずっと触れていたいと思う。
 S書店では、ふっと目に入った赤瀬川原平の「自分の謎 (2005)」という本を立ち読みした。赤瀬川氏は最近読み始めた路上観察学入門(1986)の著者の一人であるから、視線が合った時は感動した。俺の言葉で言えば、「目が良い人」の一人だと認識している。そこでの目が良いとは、多くの視点を用意出来る様であり、さらには視点に対する視点も用意できる様だ。赤瀬川氏といえば、氏が提唱したトマソンという概念は笑えるから興味があれば調べてみてほしい。
 大人の絵本として書かれた、「自分の謎」でも、やっぱり目の良さが際立っていた。鏡で自分を見るのが嫌い(それは、観られていると思うから)から始まり、鏡の中で自分を見てくるのは自分なのかという問い。さらに、どこまでが自分だろうという問い。おそらく子供の頃に感じた人も多いと思う貴種願望からくる問い。つまり自分以外のものは実はロボットのようなものではないかという問い。「高速で振り返ったら、見せられる存在が消えるのでは?」という考えは今でも面白い。結局その日は本を三冊を買った。

 水曜日は天皇誕生日だった。天気も良く、体調も良くなったから、気分が良かった。しかし、この頃、興味を引く身の上話(エピソード)がないことを考え始め、そこだけが気がかりだった。まぁ仕方がない。と近所の散歩を始めた。その時、スマフォで西寺豪太の小説「'90s ナインティーズ」を読み始めたのだが、衝撃を受けてしまった。90年代のライブハウスでの一夜から物語が始まるのだが、とにかく引き込まれた。読み終わったら、あれこれ言いたいと思う。
 横断歩道の前で信号待ちをしていた時だった。後ろから横ざまに男が現れた。「さっき、不戦とかいいやがってたな、共産党の野郎が。ハハ!」、こんな感じのことをやや大きな声で誰にともなく言っていた。
 俺は、その男が現れたことにより、スマフォから目を離して読書をやめた。男は横断歩道を渡った。少し考えて男を追ってみることにした。赤信号になりそうだったので走った。
 しばらく同じ道を歩いた。男は、50代で色白で白いシャツ、下はスーツだった。マスクはしていなかった。快晴だったが傘を持っていて、偉そうな歩き方だった。スーパーに入るのかと思って付けるのをやめようかと思ったが、入らなかった。その後のコンビニもカマしだろうと思ってたが、今度は入った。俺も少し迷ったが入った。
  コンビニに入ると、男はどこかと探した。マスクをしていた。店内だと、外とは違って従順なサラリーマンという感じがする。ホットコーヒーを買っていたので、俺も迷ったが買った。
 店を出たら、男は店の前でコーヒーを飲んでいた。俺も少し離れたところでコーヒーを飲み始めた。そろそろ、付けるのもやめようかと、スマフォで読書を再開し始めた。不思議と同じ道を歩いたからか、並んでコーヒーを飲む仲間のように感じ始めていた。
 男が、コンビニに戻り、容器を捨てて戻ってきた。どこかにいくらしい。俺の前を横切った時に、スマフォから目を離し、目を見たら男と1.5秒くらい目が合った。一見楽しそうだが、孤独に耐えきれない人間特有の目があった。攻め立てるように主義主張を言っても、救いを求め続けているような溺れている状態。男を見送って、また読書を始めた。俺の目はどう映ったのだろう。

 夜は、最近見つけたX浜のとある場所で、ギターを持ち込んで演奏していた。本格的に冷え込んできたあたりで、家に戻ることにした。くり抜かれたフェンスから、出て、傾斜を上がる時に自然と言葉が出てきた。

「あーさみっ、わーさびっ、えっ、えっ」
「あーさみっ、わーさびっ、えっ、えっ」
「あーさみっ、わーさびっ、えっ、えっ」

  ランニングしている男や女のテンポに合わせて、言ったりもした。
  その日、俺も誰かに付けられたのだろうか。

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