たった1つの作品が、たった1人の命を救うから
「noteで書いたらいいのに」
3年前のこの言葉があったから、今もnoteで文章を書いている。
ずっと心のなかで叫んでいた。
「誰か私の声を聴いて」
前職で仕事量に押し潰されそうになるたびに声を上げたが、助けに応じる者はしばらくなかった。寄り添い続けてくれた人はいる。絶対的な味方がいるだけで救われていたし、今も救われている。でも、それでももう、限界が近かった。
他部署のベテランの先輩と仕事の話が一段落して雑談になった。
「私ね、あなたにもらった誕生日カード、すごくうれしかったの。だから、普段手紙なんて書かないのに、あなたの誕生日に久々に筆を執ったのよ」
とても優しいけど厳しい先輩。
私は先輩に認められていないと思っていた。あの簡潔かつ丁寧に書かれた誕生日カード。プレゼントを贈っているみんなに書いているものだと思っていたが、私にだけ宛てられていた。畏敬の念を抱いていた先輩にそんな風に思われていたなんて、知らなかった。
他に誰もいない食堂で、先輩とたまたま一緒になった。
「今、あなた大丈夫?」
それは、「ちょっと今時間大丈夫?」みたいな軽いノリではなく、少し俯いた私に目を合わせて真剣に見つめる先輩の、穏やかで真面目な声で言われた言葉だった。
私は意を決して先輩に相談した。
「……正直、結構しんどいです」
心臓がバクバクした。
「詳しく聞かせて」
今の気持ちと仕事のことを赤裸々に話した。話し終えると、ずっと相槌を打ちながら聴いてくださっていた先輩が言ってくれた。
「わかった。私がなんとかする」
社長に掛け合って他の先輩にも働きかけ、フォロー体制を整えてくださった先輩。先輩には感謝してもしきれない。
それから2ヶ月。先輩が「noteで書いたらいいのに」と言った。
何を思ってこうおっしゃったかは未だにわからない。書くことは好きだが、圧倒的才能と努力を前にして、私はその世界の扉を敲く勇気を持てなかった。
でも、先輩の言葉が背中を押して、衝動のままに私は足を踏み入れた。あれからもうすぐ3年になる。
noteを始めてすぐそのことを伝えたら、NHKのドキュメンタリー番組『奇跡のレッスン』「小説 重松清 きみの近くに物語はある」の放送予定まで知らせてくれた。でも、先輩は言った。
「あなたのnoteは読まない。本になったら教えて」
え、なんで? noteで書いたらと勧めてくれたのは先輩なのに。この真意を理解するのに、3年近く要した。
noteを書き始める1年前、私はある作品に出会い衝撃を受けた。
コロナ禍真っ只中の作品。コロナ禍にはもちろん、社会人4年目の私は仕事にも心を折られかけていた。
そんな私が事前情報なしにたまたま観たこの作品に、ハートを射抜かれた。
息もつかせぬ1時間。うわー! なんだこれ。やばい。最高。
語彙力をなくしながら、興奮を抑えきれなかった。翌週のドラマを一日千秋の思いで待ち焦がれた。回を重ねるごとに期待をどんどん超えていく。
あっという間に最終回を迎えた。もう来週からは放送がないんだ。寂しかったけれど、この作品の余韻はずっとある。4年間色褪せずに。伊吹や志摩たち4機捜は、生きてこの世界のどこかで今日も働いていると信じられた。
いつか、またこの人たちの作品を見たい。そのために生きよう。
そうして4年の月日を経て、今月新作が映画として上映されることは感慨深い。
私はこの作品に生かされた。お世辞でもなんでもない。本当にそうなんだ。
あるんだよ。作品が、言葉が命を救うことが。
たった1人。でも、人の命が左右される。それは、正の意味でも負の意味でもだ。作品や言葉の暴力性が、限界に近かった心を壊し、一歩を踏み出させてしまうことだってある。
世に出る作品や言葉には、責任が付きまとう。
『MIU404』は、機捜(警視庁 機動捜査隊:Mobile Investigative Unit)のメンバーが繰り広げるエンタテインメントだ。その捜査対象は多岐にわたるが、彼らが対峙するのは普通の人だ。
彼らは、現代を取り巻く社会問題の当事者であり、とあるきっかけで一線を越えてしまう。そんな彼らを捕まえる、MIUのバディ伊吹と志摩。彼らはコールサイン404を背負い、被害者にも被疑者にも真剣に向き合う。
どんな事情があっても、人を殺しちゃだめだ。でも、社会がよりよくなれば。よりよくしたい。
大切な街を守る4機捜のメンバーたちを見ると、社会問題に向き合わざるを得ない。自分自身が苦しくても諦めたくなくなる、この社会を。自分の人生を。
この作品がきっかけで初めて推しができた。1人はこの作品の脚本家である野木亜紀子さんであり、もう1人は主人公の志摩一未を演じた彼だ。
彼、星野源さんは、役者であり、音楽家であり、ラジオパーソナリティーであり、文筆家だ。
しがない会社員であり、他に才のない私には、ドラマをスタッフとして作ること、脚本を書くこと、演じること、歌を作り歌うこと、一人語り、これらで人を楽しませることはできない。でも、書くことなら。
星野源さんのエッセイ集『いのちの車窓から』。KADOKAWAの雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載されていたものを編纂して書籍として発行され、来月念願の2冊目が出る。
私はこの『いのちの車窓から 2』に収録されるであろう、雑誌のとある話に救われた。Webで期間限定で公開されていたのを読み、わざわざ雑誌を買って今でも大切にしている話だ。
文章でも、人を救うことができる。
その文章は、ご自身の辛い過去をさらけ出し、ユーモアもありながら、手の届かないところにいる人なのに、身近に感じさせてしまう。
これは、私のために書いてくれたんじゃないか。
そう思わせる。そんなことは決してないとしても。
「みんなを掬い上げることは無理だよ」
「作品で世界を変えることも、人を変えることもできない」
そんな趣旨のことをラジオでおっしゃる。それを自覚しながらも、心を尽くして言葉を紡ぐ。その言葉は、たしかに胸を打つ。
ファンでなくても、たまたまラジオを聴いたり、『ダ・ヴィンチ』を読んだりして、その言葉に救われた人がいる。
その信念を曲げずに戦ってきた彼は、掲げた通り真ん中に立ち、戦うなかでたくさん傷ついてきた。繊細ながら矢面に立って人一倍痛みを感じてきた彼は、誰より言葉に責任を持っていると感じる。責任を持って正しく影響力を活用している。
私は彼のラジオに3年以上メールを送ってきた。メール職人の方々は本当に秀逸な文章力で挑んでくる。そして推しを笑顔にする。私も推しを喜ばせたい。その一心だった。
3年経って、届けることができた。
届くんだ。
星野源さんを笑わせたり喜ばせたりできただけでなく、同じリスナーがXで私のメールに反応しているのをリアルタイムで目にした。
この経験は自信になった。ラジオを4年聴いてメールを送ってきて、やっと届いたときに気づいた。
ラジオを聴いているのはリスナーだと。
メールを選ぶのは、星野源さんだけでなくリスナーを思うスタッフの方々だと。
こんな当たり前のことに3年間気づけずにいた。読まれたときリスナーがどう思うか。そこがすっぽり抜けていた。
ラジオメールは決してファンレターではない。リスナーが聴いて笑ったり、共感したり、グッときたり。リスナーもパーソナリティーも楽しませたい真のリスナーが、メール職人の方々なんだ。
メールをパーソナリティーにもスタッフにもリスナーにも届けようという思いで書くようになった。これまでに計4回読んでいただけた。
この経験は、noteを書く方針にも影響を与えた。
3年近く書いてきて、少しずつ書き方が変わっていった。
書き始めた頃は、仕事で悩んでいた気持ちと同じだった。
昔から変わらない自己顕示欲丸出しで、書きたいものを楽しく一生懸命に書いた。書くことで、自身の胸のうちを言語化することができ、アウトプットすることで自身が救われた。
そうしているうちに、自分は言語化が苦手な人間なのだと気づかされた。それは、noteで活躍される他のクリエイターの方々の文章を読んで、自分の文章と嫌でも比べることになったからだ。
伝えたいことが伝わらない。
そもそも他のクリエイターのように多くの人に届かない。打っても響かない。
仕事でもそうだったが、文章でもそうだった。書き方、伝え方に問題がある。書く技術を身につけなければならない。
書き方の基本を学ぶなかで、書く心得を知り、シンプルに自分に足りないものがわかった。
努力だ。
他の人たちは、この1つの作品を書き上げるためにめちゃくちゃ努力を重ねてきたんだ。世に出る作品を書く人たちは、全っ然努力量が違う。
踏み切れない自分がいた。
・趣味だから。
・時間がないから。
言い訳をして、何本も予防線を張って、めちゃくちゃ努力をしても報われなかったときに砕け散らないよう、心を守っていた。仕事でも辛いのに、これ以上傷つきたくなかった。
それから長い休みを経て、環境を変えた。一大決心をするのは怖かったが、踏み出してよかった。環境の変化についていくのにしばらくは必死だった。
「私が書く必要、ある?」
ふとそんな気持ちが芽生えて、自分で広げた風呂敷を回収する余裕もなくなり、書くことから一時遠ざかった。
そうして今。忙しいけれど、前より時間もゆとりもできた。悩んだけど、また筆を執った。それは、私宛にnoteで書かれたこんな文章を見つけたからだ。
やめようかとも思った。でも、この言葉が私をnoteに繋ぎ止めた。
戻ってきたからには、待ってくださった方に恩返しをしたいし、書くことを勧めてくれた先輩にいつか届けたい。
それから、他に届けたい人がいる。
編集者の親友と、母、そして過去の自分のような人だ。
出版社で雑誌を複数編集している、数少ない親友。私を育て上げてくれた母。
親友は多忙ながら、会社のなかで戦って良い雑誌を作るためにがんばっている。母は、花や新聞が好きで、娘2人を育て上げ、父と仲良く暮らしながら家事をがんばっている。
親友は、へとへとななかで編集の仕事に悩み苦しみながら、新卒から8年目の今も編集の仕事に邁進している。
母はとある理由で文章が読めない時期があった。何十年も読み続けてきた新聞を読めない。帰省の際、ぽつりと漏らした母。私は何もできないまま、唇を噛んで日常生活に戻るしかなかった。
私自身、読めなくなった。大学で言語学を学ぶくらい言葉が好きで、文章が好きだったのに。仕事に疲れ、文章、メディアと遠ざかろうと距離を置いた。
それでも『MIU404』、『星野源のオールナイトニッポン』、『いのちの車窓から』に出会い、メディアに救われた。
長い文章を読むのが無理ならと、母に届けたい一心で俳句や短歌、詩を勉強するようになった。
親友や母に送るメールの文面を推敲した。短くても、傷つけないよう、大切に思っている人がここにいると伝わるよう、心を込めて書いた。先輩を手紙で唸らせた私になら、口下手で電話が苦手でも、文字で親友や母をほんの一瞬でも幸せにできるかもしれないと。
今は親友、母、私も少しずつ元気を取り戻している。波はあるけれども。
心が折れそうになりながらも編集をがんばっている親友。読めなくなったけれど、また少しずつ無理なく文章を読んで生活を営んでいる母。読むことも書くことも諦めかけたけど、また再開した私。
そして、きっとたくさんいる。生きることがしんどい人が。だって、こんな世の中だもの。選挙に行ったり声を上げたりしてもすぐには変わらない世の中だけど。私たちにはペンがある。書いて、誰かの心を動かす力を持っているはずだ。まだこの権利は奪われていない。
人生楽じゃないけど、出会いたいじゃない。人生を変える1本に。
不要不急と言われたエンタテインメントが、たった1人の「命」を救ったんだ。身を削って作った人たちの作品が。
私がこれからも書く理由。
私は生活が下手だし、世渡りもうまくないし、人間関係を築くのも苦手だ。飽きっぽくて長続きしない性格でもある。仕事はがんばるけど家では干物女。かわいくない雨宮蛍を想像してほしい。
でも、見ず知らずの本名も知らないこんな私を、noteで待っていてくれた人がいる。
たった1つ、「書くこと」なら私は続けられる。
本気で書くことに向き合うために、苦手な生活にも最近向き合うようになった。生活は、心と体を作るもの。心と体は資本だ。
背けたくなる現実を見つめなくてはならないとも思った。
現実を知らなければ、いろんな読者に寄り添えないし、世に出す責任に欠けるから。リアルを追及し、でも、エンタテインメントとして楽しめるもの。私が好きなそんな作品を、私も書きたくなった。
初めて自分史上最も長い文章を書いて、何度も何度も推敲を重ねてコンテストに応募した。同じコンテストに応募された、たくさんの作品やその裏話を読んだ。そうして気づいた。
まだ足りない。努力も、覚悟も。
ぎりぎりまで諦めずに書いたからこそ、今までなんとなくで応募したどのコンテストよりも思い入れが強かったからこそ、痛感した。そして思った。
まだ諦めたくない、書くことを。
すると、あの日の言葉がふいに思い出されたのだ。
もし先輩が私のnoteの作品を読んで、いずれかを「よかったよ」なんて言ってくれていたら。私はそこで満足したかもしれない。書くことを勧めてくれた先輩に読んで褒めてもらえた。それをnoteに書いて舞い上がって。
そこで、終わっていたかもしれない。先輩に褒めてもらえたし、フォロワーの方にも褒めてもらえた。いつやめてもいいなって。
どれくらい本気かわからない「本になったら」という言葉。これを、憧れや夢物語で終わらせてよいのか。時間はかかっても、書き続けてこう言いたい。
「先輩、あなたの言葉がきっかけで本が出ました。読んでください!」
文章を読むには時間がかかる。忙しい現代人の貴重な時間を、作者は奪うことになる。読者がこの作品に時間を奪われてよかったと思える作品を書かなければならない。この責任は重い。
親友、母、自分と同じように現代でもがく人に、少しでも現実を忘れて幸せな気持ちになってほしい。
「この作品があるから、まだ生きよう」
今と未来のために、人生に疲れながらもがんばる多くの人たちがそう思える。私にしか書けない、そんな作品を書けるようになりたい。いや、書くんだよ。いつか芽を出し、花開いて、素通りしかけた人々の顔をほころばせ、忙しない街中でちょっと足を止めて一休みさせることができるように。
失敗も成功も恐れずに、書き続けたい。
「生きてりゃ何回でも勝つチャンスがある」んだから。
「0地点」から、未来を諦めずに私は頂を目指すんだ。今伝えたい思いを込めた私ならではの作品を、じっくり練り上げて昇華させてから。
「たった1人の命」を救うような、たった1つのお守りのような作品。これを書き上げるその日まで。
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